上海八宝飯

八宝飯

45年の人生の中で、一度だけ和平飯店に宿泊したことがあります。
それはリュックを背たろうて旅行をしていた私にとって
大きな夢でした。

その時に、何か食べるものを手に入れようと
和平飯店から中山東一路沿いを歩いていた時に
通りの店で売っていたのが、
この八宝飯というそれまで見たことのなかったごはんでした。

当時の私は本当に何も知らなくて、
それを一つ買って部屋に戻ると、
大きな琺瑯の容器に湯を張り、しばらくあたためてみたりしたのですが、
米がかたくてどうにもこうにも食べられるものではなく、
結局かじっただけでその時は食べることができませんでした。

というのも、店で売っていたのは
買ってすぐに食べられるものではなく、
それを持ち帰って蒸して食べるものだったのです。
今の時代なら電子レンジなど便利な道具もありますが、
当時はといえば、琺瑯の蓋付カップをリュックの横にぶらさげ、
火車(鉄道)の中ではそこに饅頭などを入れたり、
インスタントラーメンをそこに割り入れ湯を注いで食べたりする程度でしたから、
それを部屋で食べる術は無かったのでした。

おまけに想像していたのと異なり、
ごはんに油がついていて甘い上に中央にあんこが入っていて
それはそれはびっくりしました。

さて、この八宝飯、
トッピングに用いられる具は木の実や干した果物以外に
明確にコレでなければという決まりはなさそうなのですが、
どうしても外せないものがあります。
(もともとは決まった具があり、それぞれに意味があったようです)

糯米を用いることと、ラードと砂糖を用いること。
そう、ラードなんです。
現代の八宝飯はずいぶんこのラードの使用量が減らしてあるようですが、
当時のものはそれはもう……。

ちなみに中に入れるあんこは、こしあんですが、甘くはありません。
この「あんこ」にもよく騙されると言いますか、
日本人の想像するところとは異なる結果を迎えることが少なくありません。

粽子や包子を食べる時に「豆沙餡(あんこ)」という文字を目にしますが、
中に和菓子のような甘い甘いあんこが入っていると思って、
たまに甘いものを欲した時に買ってみたりすると、
これが甘くないのですね。

もっとも、外のごはんが激甘で中のあんこも激甘となれば、
もう倒れるしかありませんから、バランス良くできているのかもしれませんね。

お碗にトッピング用の具を敷き、その上から
ラードと砂糖を混ぜ込んだ糯米ごはんを入れ、
中央にくぼみをつけてあんこを投入。
さらにごはんを詰めて蓋をしたものを蒸します。
お碗に皿をのせひっくり返してごはんを皿に出したらできあがりです。

「上海八宝飯」と紹介しましたが、
実際には漢民族の食べ物なので、全国各地にあるようです。
ただ、具材や作り方に若干の違いがあるようですし、
多くは江南地域で食されて来たようです。

歴史はかなり古く、紀元前1046年の「武王伐紂(周の武王が
商の紂王をやっつけちゃった話)」のお祝いの宴席に出されたものが
その起源とされています。この年号については諸説あるようで、
いくつか調べた中には紀元前1123年というものもあり、
さらに調べていくと、時代考証がかなり難しいようで(そりゃ
そうだろうね)、現段階においてかなり年数の幅があるようです。
それでも平たく言えば紀元前にはすでにあった食べ物ということです。

この時大きな功績を上げた8名を褒め讃えるということで
「八宝」となったようで、さらに最期に焼身自殺した紂王をイメージして
サンザシを用いるのがそもそもの八宝飯らしいです。

民間伝承では「八宝図」が八宝飯の起源とも言われているようで、
「八宝」の意味も異なって来るようです。

いずれにせよ、めでたい食べ物であることは違いないですね。
二姐 | 燕屋権左衛門 | -
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