+--[30]故郷をたずねる旅・1--+

 えんちゃんの姓は中国でも少なく、私が音楽学院で勉強を始めてから大学で出会った老師は
皆、私の姓が日本の姓だと信じて疑わなかった。
《水滸伝》にも出てくるその姓のルーツを知りたい、とかねがね思っていたのだが、
なかなかその機会に恵まれなかった。

 えんちゃんは上海生まれの上海育ちだが、公公や阿婆は違う。
彼は日本で大阪の両親の郷へ何度か行ったり、墓参りにも行ったことがあるが、
私は中国でその経験をしたことがなかった。

 それが、私が公公に何の気無しに言った一言からこの黄金週間にかなうこととなった。

 生まれてこのかた一度も公公の郷へ行ったことが無いというえんちゃんは、
親戚づきあいが面倒なのと、遠いのとで行くのを渋っていたが、すでに 公公と阿婆が
乗り気であったために、親孝行しましょう、と出かけることに同意した。

 かくして、私達の3日間にわたる遠方の親戚を訪ねる小旅行が幕をあけることになった。

 今回のメンバーは、公公、阿婆、ニ哥、ニ嫂、雲雲、えんちゃん、けび、ちよちよ、
そして私。 へっぽこセドリックでは乗りきれないので、デリカで行くことになった。

 行き先は、江蘇省泰興(Tai4 xing1)市。河失鎮司馬というところまで向かう。
高速道路をとばしてとばして230km弱。高速の泰興東インターの出口では
えんちゃんの堂兄(tang2 xiong1:従兄弟)がバイクで迎えに来てくれていた。

 広い通りの両脇にはたくさんの市がたっていて、とてもにぎやかで、
特に石橋の上で開かれていた市はものすごい人でにぎわっていた。
ちょうど私が初めて上海の地に立った80年代の虹橋のような光景が広がっている。
そんな光景を車窓から眺めながらどんどん進んで行くと、堂兄は急に狭い道へ入って行った。
車がやっと一台通れるほどの狭い砂利道。
周囲は二人乗りの自転車やバイク、道の周りは菜の花畑。
どんどん道幅は狭まり、人気が少なくなっていく。
後で知ったのだが、これは家までの近道で、堂兄は普段バイクに乗っているので
いつもの調子でここを走っていったわけで、ちゃんと別に鋪装された道路があり、
そちらはバスも走っていた。

 最後にはデリカがかろうじて通れるほどに狭い道をがたがた揺れながら、
車体を菜の花に擦られながら伯公(bo2 gong1)の家に到着した。

 周囲は皆、天井の高い二階建て住宅、たいがいの家に犬と鶏小屋。
近くの川では洗濯をする女性の姿が多く見受けられた。のどかである。

 私達は早速、えんちゃんの爺爺が眠る墓へ参ることにした。

 よく映像でみる顔写真付の墓をイメージしていたのだが、なんとそこにあったのは
松の木。一面の緑の中、あちこちにぽつんと立つ松の木がある。
それが家々の墓の目印なのだそうで、えんちゃんの爺爺夫婦が眠る場所には
二本の松の木が立っていた。

 松の木のもとには、ひっそりと墓があり、私達はそこでお金を焼いた。
(お金といっても本物のお金ではないのでアシカラズ)

 もしかすれば最初で最後になるかもしれない墓参りを済ませると、
少し周囲を散歩して、夕飯をよばれることとなった。
                                 (2004/05/01)

松の木
お墓の目印。