+--[31]故郷をたずねる旅・2--+

 泰興の特産はいろいろあるのだが、中でも銀杏は有名で、伯公の家にも
銀杏の木があり、裏の畑の傍では銀杏を干していた。
村で科学の老師をしていたという伯公はせっせと鶏の餌を配合して鶏にやったり、
野菜を洗ったりして忙しい。

 五一の休暇中であることと、私達がやってくるということで
普段は町に住んでいる堂兄一家も里帰りしていて、家はにぎやかになった。
だが、子ども達は何となくぎこちない。
おまけに食事があまり口にあわないようである。
それでも偶然ながらちよちよの大好きな海老が用意されていたりして
食べるものがない〜などと愚痴られずに済んだ。

 家を出る前にえんちゃんに確認した時、ホテルに泊まることになる、と
言っていたので、タオルや歯ブラシの類を持たずに出たのだが、
結局ここで一泊することになり、少々慌てる。

 私達は玄関から入ってすぐの部屋をあてがってもらい、ダブルベッドには
ちよちよと私、ソファベッドにはえんちゃんとけびが寝ることになった。

 翌朝ひとしきり散歩をして、運転要員であるえんちゃんとニ哥が起きるのを待ち、
朝食を済ませるとみんなで黄橋(Huang2 qiao2)まで出かけることにした。

 町はにぎやかで、さすがにここは車の往来も多い。
しかし、タクシーはほとんど見かけられない。三輪の人力タクシーが主力。

 まず、北宋天聖四年に建立された「福慧禅寺」へ。
ここで、クリスチャンである阿婆とニ哥は中へ入らず外で待つ。
敬虔なクリスチャンである二人はこういうことには細かいが、
何でもあり?なえんちゃんは、普段は源深路の道観へお参りしているにもかかわらず、
ここでもしっかりお参りする。

 黄橋は、「新四軍」の抗日拠点の一つ。
陳毅や粟裕などの革命家の手によって黄橋戦は勝利をおさめた。
そう、例にもれずここにも戦争の記録を残す施設―「新四軍黄橋戦役記念館」があり、
そこを見学することになった。

 ここはもともと「丁家花園」と呼ばれていた清代園林建築。
その家の主は「現代地質学者の父」丁文江で、
1927年北京周口店で発見された北京原人の化石や《古生物志》で有名な学者である。
その彼が故郷を離れて以後、1940年にここに江蘇最初の「抗日民主政府」が設立され、
新四軍がここを「作戦指揮部」にし、陳毅が指揮をとった「黄橋戦」を記念して現在に至る。

 けびちよにとっても避けられない、複雑な想いを抱くひとときであった。

 そして黄橋を離れて再び河失へ戻り、昼食をよばれて皆とお別れ。

 堂兄の家に立ち寄り、その後、長江へ向かう。
川だと言われなければ、海だとしか思わないであろう。
開発区の建材搬出入の岸壁に立っていたので、自然を感じることはなかったが
皆何かを感じたようであった。

 再び街中へ戻り、堂兄と別れ、次は阿婆の郷である揚州へ向かう。
                             (2004/05/02)

銀杏の木
司馬の銀杏の木