+--[32]故郷をたずねる旅・3--+

 さて、揚州といえばかつて中国で最も栄えたといわれるところであり、
804年には弘法大師空海が、838年には慈悲覚大師円仁が訪れた土地でもある。
江蘇のあちこちの町はなんやかんやと接点があるようだ。

 再び高速道路をひた走る。

 市街地へ入ると、今朝までとは全く異なる風景。運河と庭園に囲まれた
古い町のイメージがあったのだが、中心地はもはやそうではないのであろう。

 昨日は伯公の家に泊まったので、私達の中ではいろんな段取りが狂っていた。
携帯電話やデジカメの電池の充電、お風呂などなど。
けびちよは「今日はホテルに泊まるよね?」とえんちゃんに確認している。

 そうこうしているうちにえんちゃんが舅媽に電話をかける。
「もうすぐ新世紀大酒店に着くから」

 着いてみればそこは4ツ星の立派なホテル。
けびちよは大喜びしている。私は内心、この大所帯で五一の期間中に泊まるって
大丈夫なんだろうか、と不安に思いつつも、ここならエキストラベッドを入れて
一部屋でも4人で寝られるなあ、などと考えていた。

 ところが、いつまでたってもチェックインする気配なし。
そう、ただの待ち合わせ場所にしか過ぎなかったのであった。
彼の計画では、このホテルの少し先に立派な健康ランドがあり、
そこの「包房(個室)」をとって一泊するつもりだという。
なんせ9人の大所帯、安いホテルよりこの方が部屋もずっときれいだし、
この健康ランドは接待で使ったことがあるがかなりいい、と言う。

 私は健康ランドの大半が男性用につくられていて、女性用の浴室が
あまりよくないことを知っているので、とても不満だったが、
何度も私に同意を求めてくるあたり、気をつかってくれていることが
わかっていたので、最後は
「私がお金払うんと違うし、自分が決めることやん」と
拗ねモードで突き放したように言ってみたが、事実上同意した。

 長々ホテルで待っていたら、舅媽と舅表弟婦がタクシーであらわれた。
私達は再び車に乗って走り始めた。

 夕飯まで時間があるのと、まだ舅表弟が仕事を終えていないので
皆で痩西湖風景区へ行ってみることにした。

 この痩西湖(Shou4 xi1 hu2)、なんで「痩」という字がついているのか
ずっと気になっていたのだが、この細くぐねぐねと曲がった湖の形が
「痩」の字に似ているからその名があるとかないとか、今もって本当の
名の由来がわからない。えんちゃんにたずねてもわからず、私が
「杭州の西湖が『胖』でここが『痩』なのかしらん」などと
くだらないことを言ってみたりしたら、なかなかウケていた。

 ゆっくり時間をかけて散歩するのによい感じだが、見どころが
たくさんあるとはいえ、50元もかかるのは、いかがなものか。
おまけに私達は時間があまりなかったので、舟に乗って、ひとときを
楽しむことにした。

 そうこうしているうちに時間が過ぎ、舅表弟と合流するため
いったん舅表弟の家まで行き、その後皆で食事。
品冠によく似た舅表弟はもうすぐパパになる幸せ者。
しかし、彼のお父さんは石炭の採掘場の落盤事故で早くに命を落とし、
舅媽は苦労して家族を守ってこられたのだそうだ。
赤ちゃんにはおじいちゃんのぶんまで幸せになってもらいたい。

 小雨がぱらつく中、私達は店の前で別れ、問題の健康ランドへと向かう。
                             (2004/05/02)

痩西湖