+--[33]故郷をたずねる旅・4--+

 この健康ランド、揚州では大変有名らしい。
上海へ戻ってからネットで確認してみたのだが、一発検索!おまけに
紹介記事も多い。えんちゃんの言っていたことは嘘ではなさそうである。
邗江区にある聚波潮(Ju4 lang4 chao2)の駐車場はすでに車がいっぱい、
中もとてもにぎわっていた。

 なんでも揚州人はお風呂が大好きなのだそうで、
五一の休みのせいだけではなく普段から「ひとっぷろ浴びてくるか」の
客人が少なくないそうな。

 けれどこの「内容は揚州市街地一」と言われる店でさえ、女性用の
大浴場や○○風呂(例えば牛乳風呂)は見当たらず、女性の浴室には
サウナが一室と、たくさんのシャワー、そしてたくさんの垢擦り台。
派手な色の下着のおばちゃんが、一糸まとわぬ姿で大の字になっている 女性の垢を
念入りに擦っている。

 私はこれが苦手なのである。嫌でも視線に入るその光景、部分が隠されて
いれば何とも思わないのだが、目のやり場に困るのである。

 とても混んでいたのでシャワーのところで並んで待っていたら
上手く一つ空いたので、ちよちよと二人でさっさと洗いを済ませた。

 男性陣との待ち合わせがあったので、そのままスタッフのおばちゃんと
雑談をしながら阿婆たちがあがってくるのを待つ。

 やっと全員が揃って待ち合わせ場所へ行ったら、ここで大問題発生。

 この店にはたくさんの休憩室や娯楽施設があるのだが、
そのメインにあたる部分のすべてを団体が借り切ってしまっていて、
今日は一般客が利用することができないのだというではないか。
そのせいで包房もいっぱいで、空室待ちになっていて、部屋へ入れないという。

 やられたよ〜。
そういうのって入口に書いておいてほしいよね〜。
「歓迎!○○様ご一行様」なんてね。と言ってもどうしようもない。

 でも、包房だからといって、一泊する客ばかりではないので
22時〜23時頃になればいくつか部屋が空くというので、
とりあえずは休憩室で待つことにした。

 休憩室といっても、ちゃんとベッドがあって十分くつろげる。
映画を観ることもできるし、飲み物もたのめる(これは有料だけど)。

 大きな娯楽室が貸切りとなっているため、ネットのできるPCも
卓球台やビリヤード台もほんの少し、歌謡ショーが盛り上がっているが
音が大きすぎて頭が痛くなる。おまけに皆眠たい。
ニ哥は相当に風呂を楽しんだ様子だったし、一泊するだけで4、5000元も
消費することを考えれば無駄も無いし、二ツ星ホテルよりずっときれいだし、
まあよしとしよう。あとは包房が空くのを待つだけだ。

 美容室や按摩室もあるのだが、この休憩室にマッサージを呼ぶこともできる。
周囲では足ツボマッサージの仕上げに入った「パカパカパカパカ…」という
足をたたいている心地よい音が響いている。
頼みたいなあ、でも公公と阿婆はきっと「不要」って言うだろうな、
嫁さんだけパカパカしてもらったらバチがあたるなあ…などと考えているうちに
けびもちよちよも眠ってしまった。

 どうもこの休憩室では客に必ず何かをオーダーしてもらいたいようなのだが
(まあ当然だろう)、えんちゃんは来るスタッフ来るスタッフに包房待ちで
「仕方なく」ここにいることを告げると、今順番がどうなっているのかを
確認させていた。

 23時をまわってもまだ空かない。休憩室の人が増えて来たのか
空調のききが悪いのか、なんだか蒸し蒸ししてきた上に、
24時をまわった頃に若い女性とおぼしき客が私たちが利用しているところの
後列にやってきたのだが、ひどく酔っぱらっていて、しまいに叫び出した。
こういう酒が一番悪い。嗚咽が部屋中に広がっている。

 さすがのえんちゃんも
「あ〜、こんなことならあそこの店に泊まったらよかったな」と反省しきり。
「あそこ」とは舅表弟一家と夕食をとったレストランのことで、その店にも
お風呂があって、同じように一泊することができたのだ。

 女性は絶叫にも似た叫びを上げるようになり、当然のことながら客は怒り出し、
店側もなんとか女性を静めようとするが、もうどうにもならない。

 と、気がつけばえんちゃんがいなくなっていた。私がうとうとしていた間に
席を立ったようだが、どこへ消えたのだろう、と振り返ったと同時に
彼は戻ってきて「あっちの部屋へ行くよ」と言う。
「部屋が空いたの?」「ううん、空いてへんけどここはあかんから」

 私達はどこへ連れて行かれるのだろう??と思いながら後をついていくと
そこは同じフロアにある貴賓室の休憩室。静かな上に客は誰もいない。
女性のマネージャーとおぼしき人物が「くれぐれも他の客に言わないで」と
釘をさしていたので、えんちゃん、相当かみついたのだろう。ありがとう。

 ちよちよはずしりと重いので、運ぶのが大変だから起こして歩かせた。
しかし、けびは声をかけても「ぼくここで寝るからいい」と起きようとしないので
仕方なく私が背負って移動させた。これがまた見事に背中にフィットするのである。
けれどすでに私とほぼ同じ背丈までになった彼を背負うと、手足が長すぎて
もうこんなことをすることもなかろうね、と思った。

 その後酔っ払いの女性は部屋から抱え出されたものの、廊下で倒れてしまい、
スタッフは介抱するのに苦労していた。だが私達は彼女から解放されて、
朝までぐっすり眠ることができた。とはいえ、寝る時すでに26時。

 朝は雨。もう一度シャワーを浴びて準備をしたら、再び新世紀大酒店へ。
朝食を店で食べている時間が無いので、豆乳やら油条や包子なんぞを買って
車内で食べながら移動。
舅表姐と待ち合わせをしているのだ。

 舅表姐を乗せて車は再び走り出す。揚州は揚州でも今度は少し郊外へ出る。
いよいよ阿婆の郷へ向かうのだ。北京へと続く高速をひた走る。
高速の出口周辺には大きな会社や工場があったが
そこを離れるとお約束通りの田園風景。道も未舗装なところへどんどん入っていく。

 ついたところは一番上の舅父の家。80を過ぎてもなお元気な舅父。
みんなあちこちを見て回るが足元が悪いのでけびちよと私は家で待つ。

 この日の昼食は麺。誰が作っているのかと厨房をのぞきにいってみれば、
こしらえていたのはえんちゃんだった。
舅表姐に「美味しい?」と聞かれた時に舅媽が作ってくれたと思いこんでいたので
満面の笑みをうかべて「美味しい」とこたえたのがこっぱずかしくなってしまった。

 昨日、伯公の家を離れる時に、伯公や近所の人たちが米(何袋も!)やら卵やら
いろんなものを持たせてくれようとして、それを必死に断って、
米を一袋(50kgはあっただろう)だけもらって来たのだが、
ここでもまた鶏やら卵やら用意されていて断るのに必死だった。
鶏、である。鶏肉、ではない。箱に二羽おさまっているのだが、元気がよすぎて
一羽の頭が出てしまっている、そんな状態である。
きっと上手く断って行くのだろう、と思っていたのだが、車に乗り込んだ時に
最後尾の足もとから鳴き声が聞こえてすべてがわかってしまったのであった。

 舅表姐が町へ戻るためのバスに乗れるところまで走り、そこで舅表姐とお別れ。
私達はさらに大哥の住む無錫へと向かうのであった。
                             (2004/05/02-03)

舅父宅の居間の壁