香り〜好きな香り〜
2011.08.13 Saturday
12日に宿題が出て、
今日「好きな香り」を持参することになっていました。
その香りをかぎながら絵を描くのです。
それを聞いた瞬間に思ったのが
ナイアガラさんの枕だったりシャツのにおいで、
それはイコール煙草のにおいだったのです。
でもってこれは持参しようがない。
ってかもっとカワイイものが浮かびませんかね、私。
もともとは、父の枕のにおい(これも要するに煙草のにおい)が好きで、
でも煙草は嫌いなんですね。煙草の煙とかもくもくされると本当にイヤです。
だけど布にしみついたそのにおいは好きなんです。安心するんです。
じゃあ、大阪にいるんだから父のそれを持ってけばええやんっていう話なんですが、
今父はMarlboroを吸っているんですね、そのにおいは好きではありません。
じゃあ代わりに何を持って行く?
すぐに「線香!」と思いました。
そこで実家で毎朝仏さんにあげる線香を持って行きました。
線香は、日本の線香のにおいが穏やかで好きですが、
上海で毎朝ナイアガラさんが財神爺にあげる線香も、
私が婆婆にあげる巻きの線香も、どれも好きな香りです。
(まあ巻きの線香に関しては私が選んで買うんだから当然なんですが)
私の毎日に欠かせない香りです。
ではそれがどうしてツバメと葡萄の絵になるのか。
このツバメは私たち夫婦をあらわしています。
彼が私の何を頼りにしているのかはわかりません。
もしかすればまったく必要ではなくなっているかもしれません。
互いに必要とし、支えあっていると思っているのは私一人だけかもしれません。
ですが二人とも相手が生活の風景の中に存在しない生活を想像したりはしません。
いるのが当たり前になっています。
煙草の匂いのシャツが精神安定剤のようになっているように。
そんなことが連想された時、聖書の言葉を思い出しました。
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。
しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。
わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。
わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。
ぶどうの枝が、木につながっていなければ、
自分では実を結ぶことができないように、
あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、
わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。
わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
この言葉をどのように解釈するのが正しいのかは私にはわかりません。
私たちが「枝」なのか、或いは「実」なのかもわかりません。
ですが、子どもたちがプロテスタント系の保育園に在籍していた関係で
この言葉、とくに「ぶどうの枝が、木につながっていなければ、
自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしに
つながっていなければ、実を結ぶことができない。」はずっと心の片隅に残っていました。
私たちがつながっていることの意味はわからないけれど、
つながっている必要があるから今がある。
それだけでいいんじゃないかな。
そのつながりから明日が生まれる。日々を紡いでいく。
そのことの意味づけをわざわざカタチにしなくてもいいんじゃないかな。
私たちはつながり続けてぶどうの実を運んでいる。
その「今」がこの絵なのです。