+--[1]トイレの女の子--+

 武昌路(WuChang Lu)の家にはトイレがなかった。
それは上海では珍しいことではなく、
弄堂(longtang)と呼ばれる小巷の一角に共用トイレが存在していた。
しかし、そのトイレは外から見たことがあるだけで、私は一度も利用したことはなかった。

 えんちゃんが「あのトイレは汚いから使わない方がいい」と言ったからであり、
家々には馬桶(matong)と呼ばれる直径・高さ約30cmの木製便器(蓋付)があって、
そこへ用を足すのだ。
その中身は朝早く阿婆(apo:義母)がトイレに捨ててきて、ささらで洗って干してくれる。

  当時の『地球の歩き方』という本の上海の項にこの馬桶の話が載っていたので、
見ても驚きはしなかったが、いざこれに用を足すとなると力がいる。
部屋の隅でこれにまたがるだけではなく、 出したものを人に片付けさせるのだから始末が悪い。
私はどうしても抵抗があって、基本的に小さい方は近くの三角地菜場という
市場に隣接した公衆トイレで用を足し、
大きい方は、外白渡橋(Garden Bridge)をてくてく渡って和平飯店(Peace Hotel)のトイレまで毎日通った。

 なぜ、三角地菜場のトイレで大きい方もしなかったかといえば、できなかったのだ。

 トイレの入り口にはおばさんがいて、お金を払うとごわごわの厚手のチリ紙をくれる。
これを持って中へ進むと、そこには真ん中に通路があって
左右には平行に深い溝が掘られたトイレがある。
前後には腰下ぐらい(しゃがむとちょうど姿が見えなくなるかな〜ぐらい)の高さの塀が申し訳程度についている。
その塀と塀の間に入ってしゃがんで用を足すのだが、
通路側には塀がないから、 通路の反対側の人と目があったりするとそれはもう恥ずかしくてたまらない。
その通路に買い物かごなんかを置いたりしておばちゃん同士が前後左右で世間話をしている姿は圧巻である。
私は用を足そうと空いている場所を探すだけで「日本人、日本人」と囁かれ、
品定めするかのごとく見つめられる。
できるだけ多くの人から死角になる場所を選んで座るとそそくさと用を足して逃げ帰る、それの繰り返し。
だから、大きい方をしている姿やぷーをしている姿を見られるなんて耐えられなかったのである。

 実は家のそばには上海大厦(Shanghai Mansions)という有名なホテルがあって、
家から和平飯店までの道中にそれは建っていたのだが、客室外のトイレがどこにあるのか私はみつけられず、
また、宿泊客でもないのに尋ねるのも恥ずかしくてできなかったため、
勝手知ったる(といっても宿泊は一度だけ)和平飯店まで足を延ばしていたのだ。

 毎朝、毎朝、同じ女の子が同じような時間に姿を見せる。
ホテルマンの勤務形態がどのようになっているのかは知らないが、
少なくとも数日に1回は同じ人に見られることになる。

 ある日、珍しく昼間にもそこへ立ち寄ったら、隅の方から
「あ、トイレの女の子、今日も来ている」 と、会話する声。
あちゃー、しっかり覚えられていたのね、と、これまた恥ずかしくなったが、それでも通いは続いた。

[2]中国へのいざない に続く。