+--[2]中国へのいざない-+

 それは、1985年3月のことだった。私は当時高校2年生。
日本人の「島国根性」に辟易しつつ、自分もそこに属している人間であることに迷い悩んでいた。

 そもそも中国に関心を持ち始めたのはいったいいつだったのか。

 今となってはよくわからないのだが、はっきりいえることは、
「日本人=心が狭い、中国人=心が広い」と
自分の中にイメージ付けされた時期のひとつが小学生後半で、
きっかけはNHKのTVで見た中国人の笑顔だったこと、
決定的だったのが、さだまさしの作った 《長江》という映画の中にみる中国だったこと。
とにかく、「大陸的な広さ」のココロに憧れた。

 それから数年がたち、
たまたま本屋で見かけた『地球の歩き方』という本を手にすることによって
私の運命は大きく変わった。

 個人旅行の認められない中国へ個人旅行で行っちゃおう、というネタだった。

 今思えば無茶なことをしたと思うが、当時は夢中である。
日本での自分のもろもろからの逃避だったのだと思うが、とにかく海を渡ってみたいと思った。

 ちょうどその頃、UNICEFの地域組織に関わっていたことで、
バックパッカーな大学生やアヤシイ旅行社情報などを得やすい情況にあったこともあって、
私は旅行を決行することにした。

 もちろん、母は反対した。

常識ある人間なら当然だろう。
中国語も英語もできない、一人旅をしたことがない、ましてや中国は近くて遠い隣の国。
いきなり一人で出かけてくる、と言われて「はい、いってらっしゃい」と言えるはずがない。

 が、父は違った。

以前から「必ず英語以外の言葉が必要になるから、
中国語とドイツ語とロシア語と韓国語は勉強すべきだ」と主張していた人である。
私が上海へ行く、と言ったら「おう、行ってこいや」の一言でおしまい。

 おかげで私はあっさりと無謀な旅へ出ることができた。

 期間は春休みの中の一週間。
航空券と査証を旅行社で手配する。
今のように日本から個人の客がホテルを予約するなんてあり得なかった。
ホテルは現地探しとなった。

 困ったことに旅行シーズンのため帰りの飛行機がとれない。
行きは中国民航のエコノミー、帰りはJALのファーストという天と地?のようなチョイスとなった。
当時の価格で15万円くらいかかったと思う。(今じゃ信じられない!)

 厄介なことに、中国元は事前に日本で換金することができない。
少しでも換金できていれば、この後の悲劇は起こらなかったのだが・・・・・・。

[3]銀行在哪儿?に続く。