+--[10] 新しい夢--+

 体力もないのに、それまでの私は教師になりたいと思っていた。
それも、言語療法士の資格を取って言語障害児と呼ばれる子供たちと接していきたいと思っていた。

 思えば小学生の頃からずっと希望するフィールドが異なっても教職につきたい、
という考えは変わっていなかった。

 しかし、高3を目前にした春休みの上海旅行で私は新しい夢をみつけた。

 それは、中国留学だった。

  旅行で知り合った商社マンに「中国へ安く来る方法はないですか」と尋ねたら、
彼はあっさり一言「留学するしかないね」と答えた。

 当時のレートは1元≒100円。
飛行機もおいそれとディスカウントチケットを入手することができなかった頃だ。
でも、初めての旅に味をしめた私はどうしても次の旅を計画したかった。
そのためには留学するしかない。

 私はそれまで希望していた教育大から外大へ進路希望を転換する。
しかし、難題があった。安く来られる、といっても留学するとなるとまとまった費用が必要になる。
これまた中国私費留学なんてこの頃はまだポピュラーではなかったから
手続きにしても費用にしてもすんなり事が運ぶとは思えない。

 日本の大学に籍を置いて、交換留学で中国へ渡る道というのはどうだろう、などなどいろいろ考えるが、
日本の大学を休学して中国の大学へ行くとなると・・・などと算盤をはじいてみれば
どうしようもなくお金がかかることがわかった。
言えば親は出してくれるだろうが、それでよいものではない。
また、当時中国語科のある大学は今ほど多くはなかった。

 選択肢は狭かった。

 さらに致命的な問題があった。

 私は英語が全くできない。

 外大入試では二次試験の外国語の成績が合否のウエイトを大きく占めるので、
英語ができないということは合格できない、ということを意味している。
数年後ならダイレクトに中国の大学に入学することも考えられたかもしれないが、
当時はまだ情報が少なかった。

 何にせよ、私はなれるはずもなかった教師の夢を捨てて別の道を歩き始めることになった。

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