+--[13] 濁った水--+ |
87年〜88年と89年の旅で、火車(huoche)に2回乗った。
火車とは汽車のことで、こちらで汽車(qiche)といえば、自動車のことをさす。
1度目は87年の上海から成都へ向かう時だった。
この時は軟臥(ruanwo)という1等寝台で旅をして贅沢をしたが、
2度目の89年、桂林から昆明へ向かう時が悲惨だった。
今はどうなっているのか知らないが、
当時は日本の新幹線などのような自由席なるものは存在しなかった。
事前に駅ごとに割り当てが決まっていて、それがあれば座席(寝台)が確保できるようになっていた。
桂林は火車の始発駅ではない。
今のようにオンライン化されて何でも情報が寸時にわかる時代ではなかったので、
途中駅から乗るときにはほとんど希望する座席を確保することができない。
結果的に乗車駅以前の割り当て分が空席のままだったとしても、である。
本当はここで火車に乗るはずではなかった。
だが、桂林は「水墨画の世界」として有名なだけあって年中天気が悪い。
予定していた飛行機が全く飛ばず、仕方なしに変更したのだ。
覚悟はしていたが、やはり無座(wuzuo)だった。
これは、座席番号のない(=座席が無い)切符だ。
硬座(yingzuo)という文字通り硬い直角シートのボックスシートにだけこの無座があった。
京都人なら4人がけかもしれないが、間違いなく大阪人なら6人がけ、
中国人も間違いなく6人、いやそれ以上で座るかも、というところだ。
それも、切符を持っているからといって絶対座れる保証はない。
なんせ、あいていなければ座れないのだ。
幸い、桂林は観光地なので人の出入りが多い。
運がよければ座席に座り、さらに運がよければ中で座席をチェンジして昆明まで行こうと考えた。
ホームにはすごい人だかり、座れなかったらどうしようという一抹の不安を抱えながら
停車と同時に一目散に駆け込む。
強引になんとか座席を確保し、これで32時間の長い我慢大会がスタートした。
とにかく直角シート、である。
右も左もぎゅうぎゅう詰め、通路のあちこちには座れなかった人たち。
座席車両と座席車両の間に洗面台やトイレ、給湯器があるのだが、なかなかそこへたどり着けない。
荷物のことや座席のことが気になることもあって、なるべく動かないように座席でじっとしていた。
途中駅で停車すると、窓の外には人が集まってくる。
美味しそうな果物あり、怪しげなおつまみあり、みんな窓から顔をだして買い物をする。
と、そこに何人かの人がコップとポットを持って現れたお湯を売る、というのだ。
給湯器、は聞こえがいいが、お湯が永遠に出るわけではない。
下手すれば空のままの時間が何時間でも続く。そこで、湯を売るのである。
喉が渇いていた私達は、他の人が買っているのをみてまねして買ってみたが、
コップの中をのぞいた途端、固まってしまった。泥水のように濁っていたのである。
みんな平気で飲んでいたが、私達はそれをぐっと我慢した。
おそらくそれを飲み干していたなら、昆明に着くまでトイレから出られなかったことであろう。
売り子たちの多くが子供であったことと、
それが普通に飲料水として使用されている水であることが 相当にショックだった。
ココロ痛む思い出の一つである。
ちなみに、桂林から昆明までは走行距離1382kmだったらしい。
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