+--[14] 桂林いろいろ--+

(1)鼠と猫と犬と

 桂林で知り合った中国人と一緒に鍋をつついた。
鍋のなかみは野菜と肉。肉はどうも私達が普段食べているものと違うようなかんじがする。
話をしてみれば、本当なら猫や犬の肉だが、
あなたたちは日本人だから普通の肉だ、と笑っていった。
鼠も入れる、と言われたが、さて、私達はいったい何の肉を食べたのだろう?答えはいまだに藪の中。

(2)漓江くだりに想うこと

 桂林では、漓江(LiJiang)くだりが有名だ。桂林に来た目的もまさにそれ。
外国人専用の船はとても高いと聞いていたので、
なんとか中国人用の船に乗り、安くあげようと画策し、無事安く乗ることができた。

 山水画の世界が360度どこを見ても果てしなく広がっている。

 あいにくの天気で雨がぱらつき寒かったが、天気が悪いのは特別なことではない。
この曇天がますます雰囲気を盛り上げてくれる。 船の旅は長旅だ。
春から秋の季節だとこの川を8時間かけて下っていくのだが、冬は水が少ないので途中までバスに乗る。
それでも3時間強の夢の世界を楽しむことができる。
この時、私達は8時間もは乗らなかったのだが、3時間どころではない時間船に乗った記憶がある。
いったいどこから乗ったのだろう・・・。

 船の中では魚の鍋。川魚特有の臭みと骨の多さに閉口したが、それでも温まる。
ひたすら曲がりくねった川をくだる、それだけなのだが、ここは特別な世界だった。
旅をしていた時には、その美しさのことだけしか眼中になく、何も考えてはいなかったが、
帰国して調べ物をしていた時に桂林と日本との辛い過去を知ることになる。

 抗日戦争。

 文化の城と呼ばれたこの地には、中国各地から文化人が集まっていた。
1944年には日本軍がこの地を爆撃し、大半を焼き尽くしてしまったという。
上海にはこの時代に日本人が造ったものが今でも数多く残されているのに
桂林ではこの時代以前のものがあまり残っていない、ということなのだ。

 そういえば、孫中山(Sun Zhongshan=孫文)が北伐の際にこの地に拠点を作ったはずだ。
川があり、複雑な形の山々がある。
秋には桂花(guihua)が甘い香りを放つ美しいこの地にも多くの戦いの歴史が刻まれている。

(3)スラれて悔しかったこと

 学校で観光ガイドの勉強している若い男の子達と知り合った。
中に日本語を勉強している子もいた。たどたどしい日本語でみんなの通訳をしてくれる。
その中で彼らは何度も繰り返し「ここはスリが多いですから、財布には気をつけて」と
アドバイスをしてくれた。 にもかかわらず、私はしっかり財布をすられてしまった。

 昆明へ行く飛行機の切符を早々に購入していたのだが、
飛行機が飛ばないのでキャンセルしたため、たくさんの現金を持っていた。
商店でボーっとショーケースを見ていた隙にしっかりやられてしまい、
気がついてわめいてみたときにはもうどうしようもなかった。

 他にいくらかの日本円と国際学生証。
公安へ被害届けは出したが、現実にはもう戻らない。
筆談とへたくそな中国語のやりとりの中で、心配した公安のおじさんが、
自分にできることはないかと聞いてくれたがどうしようもなかった。
その実、現金を盗られたことは悔しかったが、
全財産を盗られたのでもなく、パスポートを盗られたわけでもなかったので
このこと自体はあまりツライ思い出ではなかった。
何が悔しかったって、香港へ行った時に何かの役に立つかと思い、
わざわざ出発直前に作った国際学生証と、
お気に入りの45rpmの財布を失ってしまったことが悔しかったのだ。

  帰国してすぐに店に同じものがないか買いに行ってみたがなく、1年ぐらいぶつぶつ言い続けた。
それ以降、この財布より気にいった財布に出会ったことはなく、
なぜあの時に日本へ置いていかなかったのか、と思ってもそれはあとのまつりというものだった。

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