+--[15] 後で思えば・・・--+ |
87〜88年の旅では、拉薩で旅友と喧嘩してしまい、後半の旅を別行動にすることにした。
拉薩とその後の成都では同じ部屋に泊まったが、最後の上海では帰国日程を変えたこともあり、別々に泊まることにした。
泊まったホテルは憧れの和平飯店(Heping
Fandian)。
和平飯店は北楼と南楼からなり、北楼は、Sassoon House(Cayhay Hotel)といった。
ユダヤ系英国商人サッスーンの持ちもので11階建て。5階から10階までがキャセイホテルだった。
アールデコ様式で、緑のとんがり帽子のような屋根がついている。
南楼は、アン王女復古様式で、白壁と赤レンガのコントラストが美しい。
もとのPalace Hotelだ。
今でこそ外資系の高機能な高級ホテルがうじゃうじゃ立ち並ぶ上海だが、
この当時でさえ、そういうホテルはまだ少なかった。
上海のホテルでの憧れはやはり重厚な造りの老上海なホテルに泊まることだった。
廊下の赤絨毯、エレベーターホールに立つフロアマンの風格。
すべてが高級感漂い、不釣合いな自分の格好が恥ずかしくなるぐらいだった。
部屋へ入れば、スタンダードな部屋だったのに、部屋が広く、立派なソファ。
テーブルにはウエルカムチョコ。シアワセな気分だった。
帰りの船をキャンセルして、船が日本へ到着する予定だった日の飛行機を予約。
それが済んだらひたすら上海をぶらぶらしていた。
そんな中で日本人男性と出会った。
ひょんなことから南楼のカフェで知り合い、
ロシアへも行ったことがあるというその人の話に盛り上がった。
しかし、彼は上海へ来てから腹具合が悪く、トイレ通いを繰り返していた。
カフェを出て北楼の前まで来たときにもトイレが必要になり、
彼は辞退したのだが、私は自分の部屋のトイレを貸してあげた。
部屋へ入るときに、フロアマンはいぶかしげな顔をしていた。
独身女性が男性を部屋へ”連れ込む”のだから当然だろう。
しかし、私は気にせず彼を部屋へ案内し、トイレが済んだあと、ひとしきり部屋の話をしてすぐに部屋をでた。
フロアマンは安心したような、でも、何をしていたんだろう、といったような心配そうな顔つきで彼をみていた。
その夜、私は思った。
売春婦と勘違いされかけたか、はたまたブラックマーケットに手を出したと思われたか、
なんにせよ、あそこで部屋の扉を閉めてしまったのは軽率だったな、と。
彼が人畜無害な人だという保証はどこにもなかった。
自分がカフェで話をした時の勘だけだった。
もちろん、男性を部屋へ案内すること自体が軽薄な行為ではあったのだが、
自分が女性であることをすっかり忘れていた私がいた。
次は、 [16]静電気と息切れの日々