+--[3]銀行在哪儿?-+

 パスポートを取得し、査証取得のため旅行社へ預けた。
査証発給のしくみは本で読んだが、いまいち理解できなかった。
しかし、それがもらえれば中国の地を踏めるのだから、まあいいぢゃん、
といった程度にしか考えていなかった。

 旅行社は、若葉マークの女子高生を心配してくれて、
当日同じ便に乗る若いお兄さんを紹介してくれた。

 当日、大阪国際空港で待ち合わせし、そのお兄さんのまねっこをして私は出国した。

 中国民航のその飛行機は、小さな小さなちゃちなものだった。
修学旅行で乗った沖縄行きの飛行機はとても大きかったのに、
外国へ行く飛行機は、音も煩く、よく揺れて、
いつどうなってもおかしくないような感じがした。
シートは狭く、機内食の食器は子供のままごとのもの以下のようなものだった。

 しかし、手帳などのお土産があって、
当時マニアな人の間ではこういうグッズが高く売買されていた記憶がある。

 すでにアタマの中は、租界時代の建築物や外灘の景色、中国楽器の二胡、
小籠包などの美味しい点心でいっぱいだった。

 不幸はまず入国審査の時に訪れた。

「おまえはどこから来た?」
「大阪です。」
「 じゃあ、なぜ広州の査証を持っている?」
「・・・・・・。旅行社がしてくれたことなのでわかりません。」
「・・・・・・。」

 入国審査官はあきらめ顔で「行け」、と手を動かした。
冷や汗だくだくで税関も通過すると、そこは中国上海。

 気を取り直してシアワセいっぱい、リュックの重さも気にならない。

 ここからが次の不幸の始まりだった。
お兄さんが、
「 タクシーに乗って市内へ入るが、あなたはどこへ行くのか」と聞いてくれた。

 私はまず上海動物園のパンダにお目にかかりたいものだと思い、
「上海動物園へ行く」と答えた。 なら、途中だから乗せて行ってあげるよ、
親切にも同乗させてくれた。

 が、賢い人ならここで気付かなくてはならないことがある。
換銭(huan4 qian2)だ。
お兄さんはタクシーには乗せてくれたが、
私に換金なければいけないことは教えてはくれなかった。

 私は動物園に入園することができなかった。
当然である。

 これはシマッタ、と両替所を探すことにした。
お金がなければ、どうしようもない。

 持って来たポケット旅行会話なる本を見ながら紙に文字を書く。

「銀行在哪儿?(Yin2 hang2 zai4 nar?)」

 だが、行く先々で首を振られたり、
やっと指差して説明してくれる人がいてそこへたどり着いたら
シャッターが下りていたり、なかなか換金できない。
今の虹橋は開発が進んで当時の面影が全くないが、
道幅は大して広くもなく、舗装もされていず、
道の周辺は畑やレンガ造りの古い家並み、ぼろぼろの食堂、野積みされた傷んだ野菜・・・。

 「上海=不夜城」というイメージが音をたてて崩れるくらいのどかな場所だった。
そう、ただの農村。

  どれぐらい歩いただろうか、
西郊賓館(Xijiao Binguan)という賓客をもてなす立派なホテル(当時)に着いた。
守衛さんに尋ねると、敷地の奥の奥の方にある建物に案内してくれ、
そこでめでたく両替できた。

 しかし、もう動物園には戻れない。
昼の飛行機で上海入りしたのに、もうおやつの時間を過ぎていた。

 本当は南京東路(Nanjing DongLu)にある和平飯店に泊まってみたいと思っていたのだが、
外灘まで歩けそうにない。
そこで本を見て、とにかく人民広場(Renmin Guangchang)を目指して歩き、
国際飯店(PARK HOTEL)に泊まることにした。

 途中、(記憶が確かなら)虹橋路(Hongqiao Lu)と延安西路(Yan'an XiLu)の交差する場所で
どちらへ進むか迷っていたら、老齢の紳士が話しかけてきた。
中国語が話せないとわかったら、流暢な英語で丁寧に話しかけてくれた。

 私が人民広場と国際飯店へ行きたい、と行ったら、
途中までだが、とバスへ案内してくれ、乗せてくれた。
そのバスが何番のバスで、どこからどこへ行くものだったのかは全くわからないのだが、
大した距離ではなかったものの、これにはずいぶん救われた。
降りた場所からまたてくてく歩く。日はどんどん傾いてくる。しかし、まだたどり着けない。

 「人民広場在哪儿?(人民広場はどこですか?)」
書いた紙を見せながら歩いていく。

 なんせ地図もどこで買えるのかわからないので、本についていた簡単な地図を見ながら歩く。
すっかり日も暮れ、夜7時ごろだったろうか、ようやく国際飯店についた。
次が3番目の不幸の始まりだ。

[4]矢切の渡し に続く。