+--[25] 勢いあまって--+

 夏休みを使ってのつかの間の再会も終わり、またそれぞれの日常が始まった。

 えんちゃんの幼なじみに(日本人からみると)複雑な血縁関係の友人がいた。
お父さんは香港人、お母さんは中国人と日本人を両親に持つ人だった。
その彼が中学生の時、お祖母さんが帰国することになり、
家族みんなで神戸に住むことになった。
それ以来、えんちゃんと彼は不定期に文通をしてつながっていた。

 当時、大学を卒業したばかりの人間には留学という形での出国が認められていなかった。
観光旅行をすることなど論外だった。
えんちゃんは彼に会うために日本へ行き、それで私の家族と顔合わせしようと考えていた。

 しかし、査証発給にかなりの制限が加わっていた時代である。
血縁関係のない「友人」なる人物に「探親(親族訪問)」の査証が簡単におりるはずもなく
月日だけが過ぎていった。

 その頃、出国熱だけではなく、偽装結婚も日本のTVをにぎわしていた。
だから、人にどうやって知り合ったのか、と聞かれても私達は本当のことを言わなかった。

 それでなくてもいきなり外国人と結婚するかもしれない、と言い出したことで
周囲を驚かせていたのに、これ以上刺激したくなかったし、心配させたくなかった。

 そこで、その神戸の彼を介して知り合ったことにすることにした。

 何故か私達は初対面の時からすでに結婚を前提に会話をしていたし、
夏の時点ですでに結婚する意思を固めていた。
だがこのままではいつまで経っても彼が日本へ来られないので結婚できない。

 私達は思い切って先に結婚することに決めた。

 どうせ結婚するのだから、彼が来日するのが先でも後でもおんなじだ、と考えた。
それは勢いだけの判断に他ならない。
若気のいたりとはよくいったものだ。

 それを反対せずに支えてくれた両親にはいまもって頭があがらない。
手紙と電話でのやりとりだけでしか知らない人を娘の夫として認めてくれたのだから。

 私は11月に休暇を取り、上海へ行くこととなった。
1年のうちに三度も海を渡るとは自分自身さえも予想できなかったことだった。

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