+--[26] 披露宴--+

 今はどうなのか知らないが、私が結婚した1989年当時は婚姻登記をしてから結婚証が発給されるまでに3週間かかった。
そこで、待っている間に披露宴をし、新婚旅行を済ませちゃえ、ということになった。
おりしもバブル絶頂期、大阪の家族は多忙を極め、上海へ来ることができなかったが、
上海の家族とえんちゃんの友人達が祝ってくれた。

 場所は海鴎飯店。外灘を一望できるホテルだ。

 ホテルまでは歩いても行けるほど近いところに家があったのだが、
なんでも新郎新婦は歩いてなんぞ行ってはいけないとかで、タクシーに乗って果てしなく大回りをしてホテルへ向かった。
それも、道を「戻って」はいけない、ということでルートはかなり前から計算して段取りがしてあったらしい。

 爆竹の音と共に車に乗り込み一路ホテルへ。

 ホテルのロビーで後から来る客人を迎える。他に何組かの披露宴があり、ピンクのウエディングドレスの新婦もいたが、
私は大阪からエンジ色に花柄の地味目なワンピースを持参した。えんちゃんはこの日のためにスーツを新調していた。

 披露宴ではビールを飲まねばならないことがわかっていたので
えんちゃんは招待客を"厳選"し、わざと少なくした。
それでも何テーブルあったろうか、ずいぶんな数の客人に祝ってもらった。

 アルコールが苦手な新郎は全身ゆでだこのようになりながら客人とビールを飲み交わしていく。
ビールを一人一人に注いでまわるのだが、
その時に相手が注いでくれたビールを新郎は飲み干さなければならない。
そう、相手は1杯だけだが、新郎は人数分一気飲みなのだ。

 その時新婦は何をしているかというと、新郎と一緒についてまわって煙草を配る。
たぶん今ではそんなことはしないのだろうが、 当時としては煙草は中国社会の大切な社交道具であり、
また(ピンきりではあったが)高価なものでもあった。

 家へ戻ると今度は悪友たちによるゲームが始まる。
天井から吊るした飴を二人で食べさせられたり、
おなかにお鍋の蓋をくくりつけられて、それをシンバルのようにあわせさせられたり、まあいろいろだ。
結論から言えばキスさせたかったり、恥ずかしがらせたいわけで、あれやこれや考えておもしろおかしくする。
そうやってみんな結婚するたび順番に餌食にされていくのだ。
幸い?私が日本人だということで、私達は比較的刺激の少ないもので済んだ。

 ダブルハッピネスの文字に囲まれシアワセな時間は過ぎていく。
つかのまの幸せだった。

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