+--[28] 新婚生活はいずこへ--+

 結婚証が発給され、晴れて私達は夫婦になった。

 それにあわせて私も帰国することになった。
日本での婚姻届のために彼の出生証明と結婚証明を公証処で作成してもらった。
普通ならこれまた数週間日にちを要するところを超特急で作成してもらった。

 公証書に貼るための写真を写真屋さんで撮ってもらった。
証明写真なのに、「笑って、笑って」と言われて撮ったので、私の写真は笑っている。
モノクロのその写真はなんだか古めかしく、89年なのに、60年代のような写真になった。

 彼が日本領事館へ提出していた親族訪問のための査証申請書類を取り下げに日本領事館へ行った。
領事館の職員の人は、
「配偶者のビザなら早いですよ。2ヶ月後には日本で新婚生活ですね、いいですね。」
と言った。

 年末年始の休みが入ったので、年が明けて早々に区役所へ婚姻届を提出した。

 公証書のコピーと、翻訳文(は誰が作ってもよかったので自分で作った)、
結婚証のコピーも併せて添付し、日本の婚姻届の書類を提出した。

 そこで彼の名前の最後の文字でひともんちゃく。

 区役所の係員が、「略字は困ります」と言ったことに私がクレームをつけたので、
理解してもらうまでに少々言い合いになってしまったのだ。

 簡体字は中華人民共和国の正字であり、略字ではないこと。
それを日本で受理することができなくても、
「略字だから」という解釈で受理しないというふうには言わないでほしい、ということ。
そして、繁体字でどう書くかを説明し、係員は辞書で点検し、ようやく書類受理。

 日本でもこれで夫婦となった。

 それから早速彼の査証申請のための書類の準備に入る。

 当時私は学生であり、
仕事もアルバイト扱いから結婚を機に正社員扱いにしてもらったところだったので、
経済的な保証をすることができない。
この時点でまだ父は彼と顔をあわせてはいなかったが、父に保証人になってもらう。

 彼は彼で一旦取得したパスポートを返還し、
日本人の配偶者として出国するためにパスポートを再申請した。

 おそらく今はこのようなことはないはずだが、
当時は出国目的別にパスポートの取り扱いが厳格に定められていた。
だから、神戸の友人にあうために取得したパスポートでは
私の夫として出国することができないのだ。

 すべてが揃い、彼が日本領事館へ書類を提出した。

 私達はそこから2ヶ月後に再会できると信じていたが、世の中そんなに甘くはなかった。

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