+--[5] 素敵な洋館-+

 龍柏飯店の朝のロビー。昨日の運転手さんとの待ち合わせには時間がありすぎるので
とりあえず街へ出てまた戻ってこよう、とタクシーに乗ることにした。
タクシーの乗ろうと玄関へ出たら、1台のタクシーに男性が乗るところだった。

 「次のタクシー、いつ来るかなあ。」
そんな感じでボーっと車を見ていたら、運転手さんが声をかけてきた。
昨日の運転手さんだ。
そのやりとりに男性が、 「どこへ行くのですか?」 と、日本語で話しかけてきたではないか。

 実はこの人天下の丸紅の駐在員で、そのタクシーに一緒に乗せてもらえることになった。
結局、この人に昼食をごちそうしてもらい、ホテルまで確保してもらうこととなる。

 昼食は、錦江飯店(Jinjian Fandian)の北楼。外国の要人もお泊りするという歴史のある建物は重厚でかっちょいい。

「上海の名物ってそんなにないんだよね・・・」といいつつ、小籠包やもやしの炒め物などを食べさせてくれた。

このもやしに感動して私はもやし好きに変身したほどだ。
(別に嫌いだったわけではないが、とりたてて好物というものでもなかった)
ひげもまめも取り去った透明感あるもやし様が皿の上にきれいに横たわっているのだ。
今でも同じものが食べられるなら、一度行って食べてみたい気がするが、
値段を想像するとステキな思い出にしておきたい気もする。

 昼食の後はまたタクシーに乗ってホテルへ移動する。
どこも泊まるところがない、と言われたのに本当にあるのだろうか。
とても不安だったが、レトロな雰囲気漂う道を車はどんどん進んでいく。

 上海音楽学院を過ぎてしばらく行くと、太原路という道に入る。
車窓からみる限り、ホテルなんてどこにも見当たらないのだが、ある鉄の門の中に車は入っていった。
その中には素敵な洋館。しかし、どこにも看板はない。

 小さな入り口でその人はなにやら私の説明をしてくれて、私は小さな階段を昇って部屋へ案内された。
後で知ることになるが、このホテルの名前は、瑞金飯店(Ruijin Fandian)・太原分部、
ガイドブックのどこにも載ってはいなかった。

 当時の資料のすべてを大阪へ置いてきているので、失念してしまったことを確認できないのではっきりは言えないのだが、
ヨーロッパ人のお屋敷だったところをホテルにしているという話だった。

 これまた嬉しがって部屋の写真を撮り、疲れてそのまま夕方まで寝てしまった。
夕方、ホテルの人がお湯の入ったポットを交換しに部屋へ入ってきたので目が覚めた。
私はホテルの中で夕食をとった。
食堂は別館にあって、数人の人が食事をしていたが、明かりはほの暗く、
落ちついているといえば落ちついているが、本当にここって大丈夫なのかしらん?と不安にさせるものもなくはなかった。

 知っている限りの中華メニューをそれらしく言ってみるがさっぱり通じない。
「菜単(caidan=メニュー)」すらも通じない。
片言の英語を言われるままにうなずいたり首を横にふったりしてオーダーして出てきたものは、
飲みきれないほど(当時は中華料理のスープが1人前では出てこないことを知らなかった)の量の卵と海苔のスープだったり、
あとはよく覚えていないので、さほど感動的でもなかったのだろうけれど、とにかくばさばさのごはんだった。

 ひと気もなく、ひっそりとしたこのホテルで、中国語も英語も話せない私が大丈夫だろうか、と不安にもなったが、
これでホテル探しから開放されたかと思うと嬉しくて仕方なかった。

 翌日から精力的に観光してまわるのだった。

 [6] 二胡は紙袋の中に へ続く。