+--[8]ペンフレンド--+ |
中国バカと化していった私はある日中友好文通団体に入会し、そこからペンフレンドを紹介してもらった。
その人は四川音楽学院の学生だった。
日本の古典音楽にも興味があり、丁寧な日本語で手紙をくれた。
文通は順調に進んだ。
後に成都へ旅行した際には彼と会って映画をみたりもした。
文面からにじみ出る優しい印象は実際に会っても消えなかった。
兄姉のいない私にとって彼は憧れの優しいお兄さんだった。
彼は日本への留学を希望し、努力していたが、結局機会に恵まれず、留学することはできなかったが、
後に天津や上海でも研究を続けることとなる。
互いに忙しくなったり、私が結婚してしまい疎遠になってしまっても
春節にはカードを贈ってくれるよき兄さんだ。
一方で、困ったペンフレンドも存在した。
彼は北京人で、年は四川兄よりもまだ上だった。
会から私が紹介を受けて文通したのではなく、彼が先に私へ手紙をよこしてきた。
私は正直乗り気ではなかった。
というのも、私が会へ出していた希望は「女性」であって男性ではなかったのに、
すでに男性(四川兄)と文通をしている。
人数を増やすなら次は絶対に女性でないと、と思っていた。
しかし、仲良きことは美しきかな、友達が増えるのは悪くない、と返事を書いた。
彼とも89年の旅行で会うのだが、これが私の北京嫌いの原因なのである。
次のお話は、 [9]いきなりせまられても