+--[9] いきなりせまられても--+

 89年の旅行は東外大のAA研で知り合った四国の女性との二人旅だった。
北京では別行動をとって、私は北京のペンフレンドと会い、
彼女は万里の長城や明の十三陵を見物する現地ツアーにのっかって観光へ出ることにした。

 彼は友人一人を連れてやってきた。

 四川兄はどちらかといえば中肉中背、童顔でおとなしい印象だったが、
彼は背が高くスラーっとしていて、ちょっとねちっこい感じにもとれる顔つきだった。

 思い返せば最初から雰囲気はアヤシカッタ。

 食事をした後のタクシーでは手相を見ると称して手を握り、やたらめったらくっついてくる。
おまけにホテルへ戻るのが遅くなってしまった。
翌日は頤和園(yiheyuan=西太后が造らせた名園)見物に連れていってくれるという。
午後には飛行機に乗って上海へ飛ぶことになっていたので、時間厳守を要求して出かけた。
もちろん、前日の友人も一緒だ。

 と、池の前のベンチに座ったとき、友人が姿を消した。

 彼はここぞとばかりに私に寄ってきてキスをしようとした。 これにはさすがにまいった。
まいったどころか腹が立って文句を言った。
何も知らずに上手くいったころかな、と戻ってきた友人は場の空気の重さに首をかしげていた。

  時間がないから早く帰ろう、と私はそそくさとあとにしたが、あとのまつりである。

 予定していた時間よりも遅くホテルに着き、旅友をやきもきさせることになった。
彼女を怒らせるだけ怒らせて、私も不愉快な思いをして、
おかげで頤和園の素晴らしかったであろう景色のことはちっとも覚えていないし、
天壇公園(tiantan gongyuan)や他の繁華街も歩いたりしたのに、その辺りの記憶がほとんどなく、
とにかく悪夢の1日半のことしか覚えていない。

 いったん嫌だと思うと街並みすら嫌になる。

 ごちゃごちゃしている大阪に住み慣れている私にとって、
当時の北京ののぺーっとした景色はどうも好きになれなかった。
それゆえに北京が苦手な私だったのだ。

 帰国後のある日、彼が手紙をよこしてきた。

 あなたに受け入れられなくて残念だ。どうか 別の日本人女性を紹介してください。

 そう、彼は結婚対象としての日本人女性をみつけるべく文通をしていたのだ。
その後彼がめでたく日本人女性を娶ったかどうかは知るところではない。

 月日が流れ、今なら心ゆくまで北京を堪能できる気がするが、
そういう旅の出来る日がいつくるのかはわからない。

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