+--[21] 辞書と友達--+ |
毎回旅から帰ると、旅先で住所を教えてもらった人にお礼の手紙を書く。
ペンフレンドの四川兄、桂林で知りあった観光学校の学生くん達、そしてえんちゃん。
知りあったその日に将来結婚しようみたいな話になっても誰もその約束を信じないだろう。
疑いの念がはれないままで彼になんと手紙を書いたらよいのか、とても迷ってしまった。
とりあえず食事や遊びのお礼なんぞを差し障りなく書いてみることにした。
私が手紙を送った数日後に私は彼からの手紙を受け取った。
そこには、毎日手紙が来ないかと待っているのにどうして手紙をくれないのか、と
文句が書いてあった。
私は、私の手紙の返事をくれたのだと最初勘違いして読んでいたのだが、
後に勘違いしていたことがわかった。
だから、最初にもらった手紙の返事は、ちょっと話がかみあわない状態で送ってしまった。
それから私は中日大辞典と毎回格闘することになる。
とにかく旅の会話の本に載っていない単語ばかりでてくるのだから、
辞書を引かねばどうしようもない。 中国語の辞書を引くのは実に厄介だ。
言葉は「ピンイン(拼音字母)」と呼ばれるアルファベット表記の音の順番に並んでいる。
漢字がわかっても、その漢字の発音がわからねば辞書を引くのは難しい。
そこで、辞書の前の方にくっついていた検字表なるものをはずして拡大コピーし1冊にして、
部首の表もコピーして、言葉を検索するのに準備した。
わからない単語がみつかると、まずその部首を部首の表から拾って、
検字表のその部首のページを画数をカウントしながら探していく。
初めは、辞書にラインを引くだけにしていたが、とてもカシコイ私は
すぐに前に調べた言葉を忘れてしまうので、ノートも作った。
ノートにはインデックスをつけ、いつの手紙で最初に登場した言葉なのかがすぐわかるようにして、
手紙を読み返した時に発音や意味がわからなくなってもすぐ調べられるようにした。
それから毎日毎日辞書と格闘し手紙を読むことで、中国語で書かれた雑誌などは
大まかな意味をつかめるようになった。
しかし、文法も発音もほったらかしにしていたので、いまだに会話が成立しない。
私の「看得懂、听不懂(見てわかる、聞いてわからない)」はこの時からずっと変わらない。
そのうち、天安門事件が起こる。
手紙はちゃんと届くのか、検閲されるのか、などと思いつつも手紙は海を渡り続ける。
私は夏に上海へ行くことにした。
と、彼が手紙にこう書いてよこしてきた。
「うちの家は上海の中でも比較的広いほうです。
ホテルは高いので、ぜひ家へ泊まりに来てください。父も母も喜んで待っています。」
この頃、まだホームスティを実現させるのもまだ難しかった。
それなのに中国の民家に泊まれるなんてなんとラッキー!、と私は深く考えずに喜んだ。
その結果が「トイレの女の子」につながるのである。
次のお話は、 [22] 広い家