上海燕樂堂

イツモココロニタイヨウヲ

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初盆[7]

松江大橋

喫茶室ツバメを出て、南へ南へ歩く。
松江大橋を渡る。

源助柱記念碑

橋の南詰のところに
「小泉八雲ゆかりの地ー10 源助柱・大庭の音のする石」とある。

堀尾吉晴公が初めて橋を架けようとした時、余りにも難工事だったため
一人の男を人身御供にした。その源助の名をとって大橋の中央の柱を
源助柱と呼んだ。小泉八雲は「神国の首都」に興味深く記している。
なんと!
この源助柱の話については、『松江城と周辺観光地案内』というサイトに
紹介されていた。
*源助柱のお話

さらに川縁にある大きな石。注意深く見なければ、
特に気にもかけずに通りすぎてしまいそうだ。

また打てば鐘のようにひびく大庭の石は、一定の距離以上へ
運び去ることは出来ないという伝説の通り、松平公がその一個を
松江城へ運ばせようとした時、石が非常に重くなってきて千人
かかっても大橋から先へ動かすことが出来なかった。
           著書 知られぬ日本の面影・八重垣神社
小泉八雲は1890年8月30日に松江入りしたそうで、
その際、彼を乗せた汽船がこの付近に到着したと言われているそうだ。

深田技師殉難記念碑

さらに何やら記念碑があるので目をやると、
「深田技師殉難記念碑」と刻まれている。

第17代目となる現在の松江大橋の設計をし、工事中に殉職した
深田清土木技師の記念碑だそうだ。
*松江大橋建設中に殉職した技師「深田清」のこと江波文學塾

では、これは何なのだろう。

源助公園の灯台

よく見ると「しまね景観賞 奨励賞」と書かれてある。
それをキーワードにして検索してみると、
島根県のサイトに記事があった。

第6回しまね景観賞奨励賞のまち・みどり部門に
松江大橋南詰め(八軒屋)公園(通称:源助公園)」とある。
以前この場所は、もろもろ無秩序に配置されたままの
雑然とした公園だったそうだ。
それが後に整備され、この賞を受賞することとなった模様。
で、この灯台は以前西側にあったものを再現したものらしい。
橋を渡って来た者の目を惹く一角だ。

さらに南東へ向かって歩き進んで行くと、和多見町、寺町と
たくさんのお寺さんや稲荷神社などが見えてくる。
時間があればゆっくりまわってみたいところ。

松江のお寺いろいろ

あ、途中で気づく。

どうしてもお参りしたいと思っていた神社の場所より
かなり南を歩いている!!

時間を確認。まだいける。
暑いけど戻るじょ。

向かった先は出雲國神仏霊場第六番「賣布神社

賣布神社

写真は燕大世界でどうぞ。
*上海燕大世界『賣布神社』

実は子どもの頃は、
毎年お盆とお正月に米子へ「連れて行かれる」のが嫌だった。
特に自然に興味を持っていたわけでもなく、
物質的に非常に恵まれた中で育っていたので、
テレビのチャンネルが少ないだとか、
子どもにとっての消費行動を駆り立てるものがほとんど無いだとか、
大阪から遠い(これは後に中国自動車道が開通することによって
飛躍的な変化をもたらした)だとか、
とにかく、大阪を離れたくなかった。

さらには、何で自分の親は大阪出身ではなく、
山陰の米子という(自分にとって)よくわからないところなんだろうだとか、
いろいろ不満を持っていた。
両親ともに若い時に米子を離れている上に、
母にいたっては結婚前は名古屋で働いていたので、
家の中で米子の言葉が聞かれることはなく、
それが余計に遠い感じを私に与えていたのかもしれない。

しかし、年を重ねるごとに自然の美しさや、
空が青いこと、空気や水が美味しいことなどなど
そのありがたさがわかってくるというものだ。

そして、父が亡くなったことをきっかけに、
なぜ私の両親は伯耆の国の人だったのだろう、
私とどのような関わりがあるのだろう、
そんなことが気になるようになった。
もっと言えば、父方の系譜を見ていくと、
出雲の国も大きく関わってくる。
(伯耆の国はもともと出雲の国の一部だったとの話も)

私は感覚が鋭いということもなく、
上海で道観へお参りはしているが、
特定の宗教に対して信心深いというわけでもない。
ただただ「天の神様」の存在を信じているだけのことだが、
自分のルーツが伯耆の国にあるということが、
今の私にとって「大きな何か」なのではないか、
そんなふうに強く感じるようになった。

山あり谷ありの生活はしているが、
大きな障壁に悩まされることなく生活できるのも、
伯耆(或いは出雲)の神々の御加護のおかげなのか、
ふと思うことが増えた。

その感覚に応える何か、というわけではなかったのかもしれないが、
駆け足であっても神社の境内を歩くことができて良かったと思った。
ありがとうございます。

道を急いで、駅へ向かう。
やはりタクシーは見当たらない。
湿度が高くて辛いが、距離としては大したこともないので
引き続き歩いて行く。
バスと相性が悪く、バス停を過ぎるとバスと遭遇する。

ほどなくして松江駅に到着。
駅員さんに確認すると、大雨で乱れたダイヤは
まだ多少影響が残っているが、さほどのものではないという。
時間に余裕があるので、あと3分ほどで発車する普通電車に乗るべく
大急ぎで切符を買い、ホームへ。

同じ普通電車でも車両の種類が異なるのか、
座席の造りが行きとは違っていた。
帰りもまた乗客が多いので写真は控える。

米子駅に着くと、空が明るくなっていた。

まーだ時間残ってるよ。さあどうする?
でもだんだんバスにのるほどの時間は無いなあ。

あ、そうだ!
縁結びバーガー!!!

松江で美味しいランチを食べた後なのに、
まだ食べようとするか私。
だ、か、らー、痩せる要素ナッシングなんだってば。

本当はいくつか買って大阪まで持って帰り、
みんなで味見するということをしたいわけだが、
夏場はやっぱりコワイ。
とにかく記念に1つ注文してみよう。

当たり前田カレー3

お店に入って、幸せを呼ぶ縁結びバーガーを1つ注文。

当たり前田カレー5

これは米子がいな祭りの「GAINA BATTLE 米子がいなバーガー、
第一回米子がいなバーガー称号決定戦」で
見事がいなバーガーの王者に輝いたバーガー。

当たり前田カレー4

うはは、ほんまにピンクやわー。

大山どりと海老を鳥取砂丘生まれの新種の長芋「ねばりっこ」でつないで
縁結びをイメージしたパティ。
さらには弓ケ浜半島の白ネギと砂丘ながいもを混ぜ込んで、
シャキシャキとした食感が楽しめるようになっている。
それを、当たり前田カレーの「インディアンカレー」にくぐらせ、
砂丘らっきょうとビーツで作ったピンクのタルタルソースで
愛らしく飾りつけてある。
日南町産のトマト、サンプル写真では、はっきり存在を見せているも、
現物はピンクのソースの中に埋もれてしまっていた、ひひひ。
このピンクがまた縁結びのイメージで、幸せを呼んでくれるらしい。

美味しいけれど、やっぱりこれは大阪までは持って帰られないなー。
たぶんバンズがべちょべちょになってしまう。残念。
来年、みんなで食べよう。

8月30日に伯耆町植田正治写真美術館前で開催される、
とっとりバーガーフェスタ2014 全国ご当地バーガーグランプリ
鳥取県予選」に出場するそう。ガンバレ〜。
(後日メモ:残念ながら本戦出場は叶わなかった模様。予選結果

おなかがふくれすぎてとんでもないことになっているけれど、
これで大渋滞に巻き込まれても、おなかはグーグー言わないぞ。
さあ、大阪へ帰ろう。

当初、梅田でこの時間は6台バスが出ると聞いていたが、
米子駅前に来たのは5台。
それも1台は女性専用車両、ええなー。
ネットで予約かける時は知らなかったんだよね、
お盆の女性専用車両のこと。

バスに乗る。隣は米子の人にも思えるし、そうでもないように見える
中年の男性。腕が当たらないように気をつけながら、音楽を聴く。

車窓からの日野川2

車窓からの日野川1

車窓からの日野川3

車窓から日野川を眺めた。
さようなら、米子。
また来年。

渋滞は思うほど大変ではなかったが、
普段停車しない赤松PAで停車したりなんかしてちょっと嬉しい。
母の好きな赤松コロッケをお土産に購入。
赤松コロッケ

冷めても美味しいといいな。

さあ、大阪に帰ったらまた忙しくなるぞ。
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