上海燕樂堂

イツモココロニタイヨウヲ

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ともしびプロジェクト

Kaosanに誘ってもらって
1月のともしびプロジェクトへ参加してきた。

東日本大震災が起きた3月11日にちなみ、
毎月11日に集まりを開いてみんなでキャンドルを作り、
それを灯して祈る、ワークショップが開催されている。

ともしびプロジェクト2
使用する材料は、「KONECN(こねキャン)」という
手でこねて作るキャンドルのキット。

ともしびプロジェクト1
会場内が暗めだったので
写真がきれいに撮れていない(フラッシュたけよ、私)が、可愛い。

今日うかがったお話によると、
最も活動がさかんなのは上海なのだそうで、
毎月さまざまなテーマを設定してワークショップを
開催されているそうだ。

今回は、上海なでしこさんによる二胡アンサンブル演奏、
ともしびプロジェクト上海の活動の歴史、
メンバーの野村さんが本帰国されるということで
野村さんのお話をうかがうなどなど
キャンドルを作りながら盛りだくさんの内容で
ひとときを過ごした。

ともしびプロジェクト3
私はといえば、何を作るか思い浮かばず、
ただただ手を動かしながら謎の物体を作り上げた。

ともしびプロジェクト4
みんなのキャンドルを並べ、点灯。

ともしびプロジェクト5
1分間の黙祷の後、今回は野村さんに火を消していただいた。
皆の祈りが、その場の空気が一つになった。

3月11日は大阪の父の命日(震災とは無関係です。念のため)
あの震災から丸6年、父が亡くなって3年、
月日の経つのは本当にはやいものだ。

会の途中、JWNの3月のイベントの紹介がされた。
その時に画面に大きくマークが表示されているのを見て、
あれを描いた頃のことがいろいろ懐かしく思い出された。

そう、とても昔のことのようにも思えるが、
まだ6年しか経っていないともいえる。
この震災の後も日本を含め世界各地で大きな地震が発生し、
いずこも被災された方々の生活は安心できるものになったとは言い難い。

私の中での地震はやはり自身が経験した阪神淡路大震災。
自らを被災者と呼ぶにはあまりにも……と
毎年どこかに書いていたように思うが、22年経つ今も
あの日のこと、あれからしばらくの間の何とも言えない緊張感、
そして自分の住まいを軸に東と西とで生活に大きな違いがあったことを
忘れることはできない。

とりたてて大きなことや、人を動かすことはできないが、
忘れないことと祈ることは続けることができる。

できることを、できるときに、できるだけ。
あらためてそう思った夜だった。
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