上海燕樂堂

イツモココロニタイヨウヲ

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毎朝のごはん

四十九日まではお香を絶やさず、
毎朝のお供え用の炊きたてのごはんも忘れずに。

父は朝、パンを食べたりお粥を食べていたが、
さすがにお粥はお供えできないねという話になり、
一人分を炊くことのできる陶器で毎朝母がごはんを用意し始めた。
しかし、この水加減がなかなか難しく、
「今日は入れ歯はめて食べてね」などと言いながら供えたり。
そしてその残りは私が美味しくいただくわけだが、
ははは、たしかにかたいよ、コレ。
なーんて言いながら昨日今日と実験状態。
何日目に納得いく仕上がりになることだろう。

実家にある炊飯器は、ガス炊きで大きい。
ガスで炊いたごはんは美味しいが、
釜が大きいため少量を炊くのは美味しくない。
1合でも炊けるという炊飯器を買うことにしようと
ネットで注文を入れる。
在庫がある店を選んだはずなのに、結局取り寄せになるようだ。
マイッタナ。

今日はいっけぴょんの小学校卒業式。
妹が「じいちゃんに卒業した姿、見てもらいたかったな」とぽつり。
だんだんこういう風に思うことが増えて来るのかな。

母の留守中に天王寺の伯母から電話。
2時間ぐらい話をしたような気がする。
父の話に始まって、祖父母の話、私が気になっていたカレーライスの話、
満中陰法要や納骨の話などなど。
伯母は伯父が亡くなった後、昼間一人になるのがとても辛かったと言った。
夜は従兄たちが帰ってくるから賑やかになるが、
とにかく昼間が辛かったと。
だから母がまだ仕事をしていて良かったと言った。
だが、私が上海へ戻ってしまうと、逆に母は夜一人になってしまう。
昼の一人も辛いだろうが、夜の一人の方がもっと辛いのではないかと
勝手に想像してしまう。
疲れてバタンキューで眠ってしまえればいいのかもしれないが。

今はそれぞれが自分の空間、自分の時間を大切にしたいと思う時代で、
「おひとりさま」も寂しいものではないようだが、
煩わしさがあったとしても、人はなるべく一人ではなく、
誰かと共に暮らすのが良いのではないか、そんなことを考えた。

そう、お供えするごはんの炊き上がりがイマイチな時、
そのことを笑いながら共有できるって、やっぱりいいよね。
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