上海燕樂堂

イツモココロニタイヨウヲ

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オオサカ

今までこんな気の重いフライトを経験したことはなかった。

2009年、大阪に帰省してすぐに婆婆が亡くなり、
上海へとんぼがえりしたことがあったが、
その時はけびちよを連れていたので、気の張り方が違っていた。

父は家から歩いて10分弱ほどのところにある斎場で眠っている。
一昨日の朝からいろいろなことが慌ただしく進んでいっていた。
湯灌の儀を経て、父は一張羅の大島紬を着せてもらったという。

夜、関空に着いてすぐに大阪の家へ電話をかけるが誰も出ない。
父のところへ行ってるんだな、そう思った。
母だけでなくみんなが交替で父の傍にいてくれてありがたいかぎり。
目の前に出発直前の空港バスが停まっていたが、
定員いっぱいになり断られてしまった。
次の便で梅田へ向かうことにする。
待っている間にもう一度電話をかけるが出ない。
まだ帰ってないのかな。
携帯電話にかけてもよいのだが、
もし誰かと大事な話をしているところだったりするといけないので、
あえて家の電話を鳴らし続けた。

いよいよバスが出発するという時、
さすがにもう帰っているだろうと、もう一度鳴らしてみると、
とても低い声で不機嫌なけびが出て来た。
まだ「夜中」の時間にもなっていないのに、
「みんな寝てるやろ」といきなり叱られた。

いくら疲れていても、この時間にはまだ寝ていないと思うんだけど、
で、みんなって誰?
他にもみんなで家で休憩がてら雑魚寝でもしている?
いやー、そんなはずはないって。

遅い時間だったので、梅田から家までのバスはもう終わっていて、
私はJRで一駅、最寄りの駅まで移動して、駅前からタクシーに乗った。
ワンメーターだが、夜遅くにスーツケースをカラカラいわせて
歩くわけにはいかないので、そこは楽させてもらう。

家に着いたら母が待ってくれていた。
電話の話をすると母は大笑い。
私が電話した時、母はたしかに父のところにいた。
それもちょうど私が電話をかける前に家を出て、
私が最後に電話をかけた後に帰って来たのだった。
寝ていたのは「みんな」ではなく「ボク」だけだった。

「まだ入れてもらえると思うからじいちゃんに会いに行く?」
と聞かれたが、この3日間、斎場と家と会社を何度も往復している母を
また往復させるのもどうかと思ったし、明日の納棺の儀には出るから、
父に会いには行かなかった。

会うのが怖いと意識したわけではなかったが、
でもどこかで現実と対峙するのが怖かったのかもしれない。
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