上海燕樂堂

イツモココロニタイヨウヲ

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お通夜

一夜明けて今日はお通夜。
その前に納棺の儀があり、午後に一度斎場へ向かう。

会場は新しくてきれいなホール。
大きな道に面していて、とても立派な看板がかけられていた。
(どのような看板になるかは、事前打ち合わせでは
把握していなかったようで、母も弟も妹も現物を見て驚いていた)

上海に定住するようになってから滅多に会うことのない親戚との
久しぶりの再会がこの席とは、何とも言い難い気分。

そして父との対面。

そもそも父は比較的背の高い人ではあったが、
用意していただいた棺の上下にほとんど余裕がなかった。
(その棺におさまらなければ、特注になっていた模様)

この数年、何度か入れ歯を作り直していたが、
面倒くさがってほとんどはめていなかったので、
普段見る顔は、やせ細った上に口元がしわくちゃの、
私が幼い頃によく描かれていた「お爺さん」のようだったが、
目の前に眠っている父は、少しふっくらしていて
大島紬がよく似合っていた。

顔を見た瞬間はこみあげてくるものがあり、
何度も心の中で「ごめんね」とつぶやいていたが、
時間が経ってくると、その姿が
なんだかマダム・タッソーの蝋人形にも思えてきた。

いったん帰宅して着替えて荷物をまとめて再び斎場へ。

着くと、みんなが山のような弔電を仕分けしていた。

今回葬儀を会社との合同葬とするにあたって、
香典を辞退することにした。
そのため、刺しゅう電報やうるし電報はもちろんのこと、
線香セットやプリザーブドフラワーのついた電報まで大量に届いて、
五十音順に仕分けするだけでも大仕事。
大変ありがたいものの、どうやって保管する?などと、
先のことを想像してしまった。

供花の数も斎場の方が驚かれるほど多くて、
にぎやかに送り出すことができることに感謝した。

通夜式が始まると、会社関連の参列者の方々の中に、
懐かしい顔をたくさん見かけた。
当たり前だが、みんな年をとっていた。

遠くからかけつけてくださった方も少なくなく、
会場は人であふれていた。

式を終えて食事の時間になり、ようやく電話に目をやると、
ナイアガラさんとちよちよが乗るはずの飛行機が、
まだ浦東機場に到着しておらず、
出発時間のメドが立たないと連絡がきた。

食事の後も、遅くに弔問に来てくださる方をお迎えするために
何人かで斎場に残り、弔電の整理や告別式の準備などしていた。

日付が変わってから家の鍵をあけなくてはならないので帰宅するも、
結局ナイアガラさんたちが家に着いたのは1時をまわってからだった。

斎場は24時間開いているので、父に会いに行ってもらってもよかったが、
とにかく休んでもらうことにする。
行動自由な父親と二人きりで長時間過ごしたムスメは
ゴキゲンナナメもナナメ、ぷんすか噴火モードで愚痴る愚痴る。
二人一緒の便で無くてもよかったやんと叱られる始末。
おかーさん、チケット手配の時、そこまで頭まわってませんでしてん。
ごめんよー。

もう久しく家族4人揃って大阪に滞在するということをしていなかった。
いつもけびちよと私、もしくはナイアガラさんと私という組み合わせだった。
それがこんなカタチで全員揃うとは。
ちょっとフクザツな気分だったが、揃うことができて良かったとも思った。
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