上海燕樂堂

イツモココロニタイヨウヲ

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初盆[2]

朝、雨でござる。まあしゃあないね。

今回宿泊は朝食アリ・ナシを選べた。
ホテル・アルファ-ワン米子の朝食は、
7月に入ったことのある山陰漁酒場 丸善水産 米子店だったことと、
最寄りのコンビニが米子駅にしかなかったため、
朝食もお願いしておいた。

お盆休みで宿泊客が多いため、時間帯によってはかなり混むと
フロントで聞いていたものの、どこに照準をあわせてよいかよくわからず、
とりあえずちよちよの準備ができるのを待って1階へ。

見覚えのある店内では、宿泊客が思い思いの場所で朝食タイム。
和洋メニューいろいろ取り揃えで全種類制覇は難しそう。
私は奥出雲のたまごでたまごかけごはんを。
(写真撮影したはずなのですが、上海で確認したらデータが無く……)
ごはんを美味しくいただいた後は、それぞれ部屋に戻って出かける準備。
だんだんバスの時刻表を確認して、フロントで待ち合わせ。

今回のお宿の最も嬉しいところは、
だんだんバスの明治町バス停が真ん前にあること。

私たちは天神橋まで乗って、そこから旧加茂川沿いを歩き始めた。

うーん、思ったより距離があったかな。
これはもしかするともっと先のバス停で降りた方が良かったかも。
雨模様で蒸し蒸しでなければ、朝の散歩に良いんだけどね。
明日は別のバス停で降りてみようか。

家に着いてみると、ちびっこはだらーんとへたばっている。
朝から退屈な様子で、ゲームで遊びたいものの制限がかけられているから、
時間を持て余しているようだ。
お線香をあげに来てくださる方々への挨拶などは
彼らには興味の無いことなので、退屈極まりない様子。
気持ちはわかるよ。

午後、位牌堂とお墓へ参ってから、
ホームセンターへ塔婆立を買いに行く。
塔婆を立てる塔婆立(名前そのまんまやね)は、
必ずしも石屋さんにお墓と一緒にたててもらうものではないのだと知った。
父が亡くなったことによって初めて知ることがたくさんある。
些細なことではあるが、これもまたその一つ。

ホームセンターの駐車場にたい焼き屋さんや唐揚げ屋さんがあったので、
夜みんなで食べようといろいろ購入。
マルイでも食料品を買い、しまむらへも行った。
(車尾のマルイは24時間営業!)

さらに、電子ゲームばかりして遊ぶ子どもたちを何とかしようと、
ナツカシノ『人生ゲーム』を探しに天満屋へ行く。

4階のLOFTにあるかなと探してみるも、
旅のお伴にするような携帯用の小さなタイプしかなかった。
これではちょーっと遊びづらいかな。
店員さんにたずねてみると、
天満屋のおもちゃ売り場を確認したか聞かれたので、
そっか、ここにはおもちゃ売り場があるんだ!と、移動。
私が子どもの頃のデパートのおもちゃ売り場というものは
とても売り場面積が広くて、きっと親は何とかして
避けて通りたい場所だったと思うのだが、
今はどこも縮小されてあまり商品が並んでいない。
一抹の不安を抱えながら売り場をのぞいてみると……。

人生ゲーム1

やったー!あったよー。

わーい、テンションあがってきたよ。
これで買い物終了、はやく家に帰ろう。

夕食後、弟、たまちゃん、しんちゃん、ちよちよ、そして私の4人で
人生ゲームスタート!

私が子どもの頃遊んでいたものと変わらぬものあり、
変わったところあり。

人生ゲーム2

私たちが購入したのは2008年に登場した6代目にあたるそう。
ボードに別のボードをかぶせることで
2つのステージが遊べるようになっていて、
2つのステージ(生まれてから職業に就くまでと、そこから億万長者になるまで)
続けて遊ぶもよし、いずれか1つのステージだけで遊ぶもよし、
遊びたい時間や気分にあわせて遊び方を選べるのはおもしろい。

今回は、職業に就くところから億万長者になるまでのステージで遊ぶ。
(写真完全に撮り忘れ)

弟に何度も驚かれるほど私のゲームは私のこれまでの人生と重なっていて、
私も笑うしかないぐらいだった。

職業は実際の私とは異なるが、もともと1985年に上海旅行をするまでは
教職に就くことを希望していた。ゲームでの私の仕事は教師。

結婚して子どもを産むが、第一子は男の子、第二子は女の子だった。
そう、けびとちよちよ。

そして途中までは何度か約束手形を手にすることもあったが、
後には夫婦で旅行に出かけたり、
何やらまったり暮らすことになったりと幸せモードでゴールした。
今年は銀婚式だし、この先の25年に期待を寄せておくことにしよう。

ゲームで遊び終えると私たちはホテルへ。
明日はいっけぴょんたちもやって来るから賑やかになるよ。
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