上海燕樂堂

イツモココロニタイヨウヲ

<< March 2014 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

別れの朝

早朝、家の電話が鳴った。
鳴っていたことはわかっていたが、
カラダが言うことを聞いてくれなくて
夢うつつのまま、その音をやりすごした。

我が家の固定電話にかかってくる電話のほとんどは、
ナイアガラ公司でこの番号を使用していた時代の情報を元に
送りつけられてくるFAX。
真夜中の場合は、公公が目を覚まさないようにと、
私が電話をとって切るのだが、時間は早くてももう朝だ。
用事のある人はそれぞれの携帯電話にかけてくるので、
特に気にはしていなかった。

それから30分ぐらいは経っていただろうか、
いや、もっとかもしれない。
私の電話が鳴った。
大阪の妹からだった。
「もしもし、姉ちゃん?」

その声だけで、早朝の電話のことを理解した。

妹は何も言わなかった。
私が固定電話に出なかったことの確認と、
「ばあちゃん(母)に電話して」
ただ、それだけだった。

すぐに大阪に電話をかけて母に謝る。
そして父が逝ったことを確認した。

「俺」らしい突然の旅立ちは、
大阪の家族に泣く隙も与えず、
その時を迎える覚悟なんてこれっぽっちも無かったので、
後の段取りにあたふたしている状態だった。

いつまでに帰って来られるかと聞かれ、
とにかく週末までには、と答え、
いったん電話を切った。

普段の起床時間より少し早いがナイアガラさんのところへ行き、
父のことを伝えた。
彼は言葉を失ったまま天を仰いでいた。

とりあえず公公には知らせるなと口止めされた。
ちよちよには知らせたのか?と言われたのでまだだと答えると、
ちょっとの間知らせない方がいいかもと言われる。
とにかくけびには知らせておこうと微信で連絡を入れる。
しかし、けびとのやりとりはグループチャットになっていたので、
自動的にちよちよにも通知がいくため、
それを読まれてしまう前に電話を入れることにする。

けびはすぐに返事をよこして来た。
そして自分も葬儀に参列したいので、日程が決まったら知らせろと言う。
上海からメルボルンへ戻ってまだ2週間足らず。
新セメスターも始まったばかりだし、1か月日本に滞在していたのだから、
行かなくてもいいよと言うが、学校より葬儀の方が大事だと言い、
それぞれの日程はバラバラになるが、
公公を除く全員で葬儀に参列することにする。

ちよちよに電話で知らせると、案の定彼女は電話の向こうで号泣。
1週間前に電話で誕生祝いの歌を歌ってもらったところだった。
キミが最後にハッピーバースディー歌ってもらった孫になったよ、
でも歌ってもらえて良かったね。
嗚咽は止まなかった。

自宅で亡くなったため、父はいったん警察へ運ばれて行った。
その戻りの関係で葬儀日程が決まるとのことで、
まずは公公とナイアガラさんを送り出し、
しばらくその連絡を待った。

父の検死は想像以上に早く終わり、
もろもろが動き出した。
- : trackbacks (0) : Edit
<< 1 2