上海燕樂堂

イツモココロニタイヨウヲ

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素食地図

一昨日ランチで行った「iVegan(愛源素)』の2階、
お手洗い前にオモシロイものが貼ってあった。

きっと好きだと思うよと言われて行ってみると……。

壁に大きな地図が貼ってあった。
わっほい!

私は地図が大好きだ。
「好きだと思う」と言われたのは、絵そのもののことだったが、
こちらは残念ながらちょっと好みとは違うものの、
地図はとっても気に入った。

カメラにおさめておきたい!

しかし、何度撮っても、距離と照明の問題できれいに撮れない。
せめて、地図の名前だけでも、とカメラにおさめ、
帰宅してからネットで調べてみた。

それは思っていたよりもはやく見つけることができた。
おまけに淘宝網で買えるやないの。

ってなわけで、早速注文して今日届いた、これが地図。

阿拉兔手绘上海素食地图2.0-1

*阿拉兎手絵上海素食地図 v2.0

その名の通り、素食レストランを紹介している地図なのねん。
イラストは韓李李さんという漫画家のもので、
彼女の描いた有名なキャラクターが地図にも登場する「阿拉兎」。
49軒のお店が紹介されている。

浦東については、お店の描いてある位置と実際の場所が違っていて、
住所を見て場所がわかる人なら問題無いが、知らない人が見ると、
そこにあるのかと勘違いしてしまう状態なのがとても残念。

これまで素食のお店には何軒か行ったことがあるが、
素直に野菜料理を楽しめるという店にはあまりあたっていないので、
この地図を見ながらそんなお店が見つけられたらと思うのでR。

「本当はお肉食べたいんでしょ? だからそっくりに作ってあげたわよ」と
言わんばかりのなんちゃって料理の大半が、似せようとするあまり、
粉を多用しそれが油で重くなっていることが私はイヤで、
肉や魚はちゃんと別の店で美味しく食べるから、
美味しい野菜料理を食べさせて、ということなの。そうなのよん。

そんな嬉しいお店にあたるかな、どうかな。
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なまけものサンとリフレッシュ

ヤマキタセンセイとランチ

先日のぶさんから連絡をいただいて、
来滬中のヤマキタセンセイChikaさんの4人でランチ。

場所はウチから徒歩1.2キロ程度の『iVegan(愛源素)
時々宅配代行業者を通して利用していたが、実店舗は初めて。

ここのところ湿度が高すぎて、スーパーふくよか族には
ヒジョーに辛い毎日だったが、今日はカラッといい感じ。
陽射しは強いケレド、ゴキゲン、ゴキゲン。

美味しく食事をいただいて、楽しいお話もいただいて、
さらには、なまけものサンにもお会い出来て、

なまけものサン
うひゃひゃ、充電バッチリ。

ごちそうさまの後は、散歩がてら近くの食材店へ。
午後のスケジュールが詰まっているのぶさんとお別れして、
残りの3人は、不思議な趣味の店のようなその食材店でしばし盛り上がり、
とある商品ととあるグッズの記念撮影なんぞもしたりなんかしちゃう。
そしてChikaさんはここでひと休み(センセイ待ち)、
センセイと私は欽賜仰殿(道観)へ。

以前食事をした際に紹介済みだったこの道観、
今回センセイはここに呼ばれていらした模様(だから食事場所が
近所になったのかもねん)、しかし私は今日はその感覚がなかったので
入口までご案内してそこでお別れ。

そこからはタクシーに乗るほどの距離でも無いので
食後の散歩よとばかり、てくてく(正確にはちんたらちんたら)
歩いて家に向かう。

風は心地良いが陽射しが強いため、顔がやけてくる感覚がわかる。
しまったなー。ま、しゃあない。
大阪から帰って来てから引きこもり生活に近い2週間を過ごしていたので、
たまにはこういう時間も持たないとね。

道中、全家(ファミリーマート)に寄ってお買い物。
ついついパンダにのせられて、いやお兄さんにのせられて
カードを作っちまったよん。

ファミマ集享カード
もう財布パンパンやのにねえ。
ま、ええやん。

ほどなくして家に到着。ひといきついたらふと思った。

ナマケモノは怠け者ではない。

ナマケモノは緩急自在な生き方の先生、
万物と共生し、無駄の無い生き方をしている、
なまけものサンを見て、ふとそんなことを考えたのデス。

ナマケモノさんのように暮らせるかな。

ミナサン、イツモアリガトウ。
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小麦の郷のメロンパン

小麦の郷のメロンパン

晩年父が好んで食べた
「小麦の郷」のメロンパン。

ライフまで行って買って来た。
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外ごはんとお買い物

今日は春分の日。
弟夫婦が中華料理屋さんでごちそうしてくれた。
久々に落ち着いて楽しくごはん、かな。

帰りに近くの百円均一の店に寄る。
なかなか広い店で品数も豊富。
母とついつい買い物かごをいっぱいにしちゃう。

それでも線香の火を消して出て来たことが気になる。
早く帰ってお香をあげよう。
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白がゆ

父が白がゆを食べるようになってずいぶん経つ。
入れ歯にすることにして歯を作ってもらった、
その時からだからもうどれぐらいになるだろう。

入れ歯がしっくり来ていれば、
とうにお粥生活から卒業していたのだろうけれど、
結局何度か作り直したり、まあいろいろあって、
最後の方はほとんど歯をはめていなかった。

昨夏胃潰瘍で入院してから生活に対して前向きな姿が
見受けられなくなった。
退院してからも、より体力が落ちたことと気力がなくなったこと、
加えて認知症の症状とおぼしきものがちらほら見えていたために、
会社へ顔を出すこともほとんどなくなった。
厨房に立つこともなくなった。

そのため、母が朝昼の食事を食卓に用意して出かけるのだが、
いつ父が起きて来て食べるかわからないということもあり、
もっぱらレトルトの白がゆを利用していた。
近くのスーパーで安売りをしている日があれば、
それをまとめて買って帰って来ることを知っていた。
量はしれているが、なかなか重たいし、
母は自転車に乗らないので、上海からネットで購入して
81食分を届けてもらった。
(9食入りを9箱。3箱単位での販売だったからこの数になった)

母が在宅の時に受け取れるようにと、9日の日曜日に届くように
日にち指定していた。

まさかその翌々日に父が旅立ってしまうとは思いもよらなかった。

それでも父は2食ほど食べたそうで、
まったく口にしないままというわけではなかったことが
私の中の救いだったが、洋間の入口に積み上げてある箱を見るたびに、
なーんでもっと早く注文しなかったんだろうとか、
いろんな後悔が頭をよぎった。

ある程度は非常食として保存しておいてよいが、
母にとってはそういつもいつも食べたいものではないだろうから、
私の滞在中にせっせと消費することにする。

野菜をたっぷり入れたり、チーズを入れたり、
うん、なかなかいけるんでないの。

「ばあさんにだけ、そんなん作ってやるんか」って
父が拗ねていそう。うふふ。
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毎朝のごはん

四十九日まではお香を絶やさず、
毎朝のお供え用の炊きたてのごはんも忘れずに。

父は朝、パンを食べたりお粥を食べていたが、
さすがにお粥はお供えできないねという話になり、
一人分を炊くことのできる陶器で毎朝母がごはんを用意し始めた。
しかし、この水加減がなかなか難しく、
「今日は入れ歯はめて食べてね」などと言いながら供えたり。
そしてその残りは私が美味しくいただくわけだが、
ははは、たしかにかたいよ、コレ。
なーんて言いながら昨日今日と実験状態。
何日目に納得いく仕上がりになることだろう。

実家にある炊飯器は、ガス炊きで大きい。
ガスで炊いたごはんは美味しいが、
釜が大きいため少量を炊くのは美味しくない。
1合でも炊けるという炊飯器を買うことにしようと
ネットで注文を入れる。
在庫がある店を選んだはずなのに、結局取り寄せになるようだ。
マイッタナ。

今日はいっけぴょんの小学校卒業式。
妹が「じいちゃんに卒業した姿、見てもらいたかったな」とぽつり。
だんだんこういう風に思うことが増えて来るのかな。

母の留守中に天王寺の伯母から電話。
2時間ぐらい話をしたような気がする。
父の話に始まって、祖父母の話、私が気になっていたカレーライスの話、
満中陰法要や納骨の話などなど。
伯母は伯父が亡くなった後、昼間一人になるのがとても辛かったと言った。
夜は従兄たちが帰ってくるから賑やかになるが、
とにかく昼間が辛かったと。
だから母がまだ仕事をしていて良かったと言った。
だが、私が上海へ戻ってしまうと、逆に母は夜一人になってしまう。
昼の一人も辛いだろうが、夜の一人の方がもっと辛いのではないかと
勝手に想像してしまう。
疲れてバタンキューで眠ってしまえればいいのかもしれないが。

今はそれぞれが自分の空間、自分の時間を大切にしたいと思う時代で、
「おひとりさま」も寂しいものではないようだが、
煩わしさがあったとしても、人はなるべく一人ではなく、
誰かと共に暮らすのが良いのではないか、そんなことを考えた。

そう、お供えするごはんの炊き上がりがイマイチな時、
そのことを笑いながら共有できるって、やっぱりいいよね。
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初七日

早いもので今日はもう初七日。
初七日の法要は葬儀式の後に行ったので、
今日は特別なことはしないが、
父はどんな流れの川を渡ると決まるのだろう。

最初に大阪入りしたけびがメルボルンへ帰る。
今回往復するのに利用したキャセイパシフィック、
彼はずいぶん気に入ったようだった。
今回も香港で乗り換え、アデレード経由。

私は、いただいた香典の整理とデータ入力。
昨夏母に買ったPC、Officeが使えるようにと選んだはずだったが、
いざ使おうとOfficeを探すとどこにも無い。
シマッタ、入っていたのは互換ソフトでそれも無償は30日間だけ。
とにかく使える間に作業しよう。

それにしてもOfficeって買おうと思うと高いよね……。
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父娘帰る

昨日斎場から戻り、家に祭壇を作ってもらってひといきついた後、
ナイアガラさんとけび、そしてちびっこたちは梅田へと
くりだして行った。

普段食事にこだわりを持たないナイアガラさんだが、
それでも好きなものは当然あるわけで、
大阪での彼のお気に入りは、
最初に勤めた本町の商社が入っていたビルの食堂の
さんまの塩焼き(もしくはさばの塩焼き)定食、
そして阪神百貨店地下2階・フードテリアのとんかつ。
カツ丼好きの彼は、梅田でカツ丼を食べたかったのだ。

しかしまあ、人間の記憶なんてテキトーなもので、
彼が最後にフードテリアに行った時は私が一緒だったから、
自分の頭で確認しながら歩いたわけではなかったわけで、
何故か阪神へ行かずに大丸の地下へ行ってしまった模様。
けびから確認の電話がかかってきた。

まあ、いろいろありつつも美味しく食事をして、
ちびっこたちには何やら買ってやったらしく、
後日弟からしんちゃんが買ってもらったガンダムを
大切にしているという話も聞いた。
たまにおっちゃんするのもええよね。

そうやってちょこっと梅田も楽しんで、
ナイアガラさんとちよちよは今日上海へ戻る。
ちよちよは、金曜の夜で懲りて、
もう一緒に飛行機に乗るのはイヤだとぼやいていた。
金曜はナイアガラさんがビジネスクラスで
ちよちよはエコノミークラスと、
同じ便でも席が離れていた(にも関わらず、
アイスクリームを席まで持って来てくれたり、
年頃のムスメには相当ウザイ親父だった模様)が、
戻りは二人ともビジネスクラス。
ちよちよが頭を抱えるのもわからなくはない。
ま、それがあなたのお父ちゃんなんだから、しっかり受け止めて。

夜、ナイアガラさんから微信で写真が送られて来た。
ちよちよが食事をしているところ、カメラを向けられて
とても不機嫌そうだ。
他にも何枚か写真が届いて、
ちよちよの機嫌が相当悪かったであろうことは容易に想像できた。

ふと、子どもの頃のことを思い出した。
父と出かけていると、父が誰にでも気さくに声をかけて、
その場で話に花を咲かせていたことを。
あれはやっぱり年頃の娘にはちょっと恥ずかしいのよ。
今なら一緒に話の輪に参加していただろうけどね。

いつかきっとちよちよの中でもこの時のことが
いい想い出になる日が来るよ、目を細めて懐かしく思う日が来るんだよ。
それがいつなのか、と問われても答えられないけどさ。
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告別式

一夜明けて葬儀式の時間が迫ってきた。

上海では滅多にスーツを着なくなったナイアガラさん、
真っ黒のスーツが無くて、仕方なく
数年前にちよちよがJCIDのクリスマス会のステージで着た
安物のジャケット(それも淘宝網で80元!)と、
黒のスラックスを持って来たが、
父が昔誂えたダブルの黒のスーツがちょうど良くて
(正確には父の方が腕が短かったらしく、袖が若干短かった)
それを着てもらうことにした。

ちよちよはちよちよで、服がなかった。
なんせ上海では日本のように
厳格に定められているものがあるわけではなく、
婆婆の時も急遽カジュアルな黒のワンピースを買って参列した。
日本ではそれは使えないので母の昔着ていたものを
引っ張り出してもらい、靴は妹から借りた。

けびは以前大阪で母に買ってもらったスーツを着た。
メルボルンで音楽会などに行く時にスーツが無くて困ると言ったら
母が買ってくれたらしい。

昨日今日と慣れないパンプスで足が辛い。
今日は斎場までは普通の靴で移動して、中で履き替えることにした。

葬儀式では、米子からかけつけてくださった父の親友が
昨日突然お願いしたにもかかわらず、
素晴らしい弔辞を述べてくださった。

その中で、小学時代のエピソードが出て来た、それが印象的だった。
仲良し4人、それぞれの誕生日にそれぞれの家でカレーライスを
作ってもらい、それをみんなで食べたという話。
この話は父から聞いたことがなかったので、
いったいどんなカレーだったのだろうかと気になった。
知っていたら再現して一緒に食べてみたかったな、そう思った。

今日もたくさんの方々に来ていただき、無事に式を終えることができた。

火葬場(市営斎場)は車で少し移動したところにあり、
いったんそこへ移動して、父の肉体と別れを告げた。
骨上げまでの時間、また斎場へ戻って食事。
昨日は従姉に声をかけられた時に泣いてしまったが、
今日は叔母たちからの質問に笑いながら答えられる自分がいた。

骨上げの時間になって再び火葬場へ。
職員の方がそれはとてもとても丁寧に説明してくださり、
骨だけになった父と対面した。

長年糖尿病を患い、多々不摂生な生活をしていたにもかかわらず、
父の骨はとても立派で、きれいに横たわっていた。
それぞれの骨の部位や色についての説明を受け、
足もとから順番に骨上げしていく。

きれいに収まるように心砕いていただき、骨上げの儀式は終わった。
棺ギリギリにおさまっていた父の体は、
手で抱えて持つことのできる骨壺の中に骨となっておさめられた。
もちろんすべての骨を壺の中におさめたわけではないが、
本当に小さくなってしまった。

目を閉じたまま、もう話しかけてくれなくなった父の姿を見た。
間違いなく私は父の骨を拾った。
それでもまだなお、実感がわかなかった。
長い間看病したり、同居していたところからの別れなら、
もっと違う感情が生まれていたのかもしれないが、
大阪を離れ上海に定住して12年、突然旅立った父との別れは、
夢を見ているようなそんな感じだった。
決して父の死を受け入れたくない、認めたくないと
思っているわけではなく、ただただ実感がわかない、
それが今の正直な気持ち。

本当に父はもういないのだと実感するのは、
いつのことなのだろう。
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お通夜

一夜明けて今日はお通夜。
その前に納棺の儀があり、午後に一度斎場へ向かう。

会場は新しくてきれいなホール。
大きな道に面していて、とても立派な看板がかけられていた。
(どのような看板になるかは、事前打ち合わせでは
把握していなかったようで、母も弟も妹も現物を見て驚いていた)

上海に定住するようになってから滅多に会うことのない親戚との
久しぶりの再会がこの席とは、何とも言い難い気分。

そして父との対面。

そもそも父は比較的背の高い人ではあったが、
用意していただいた棺の上下にほとんど余裕がなかった。
(その棺におさまらなければ、特注になっていた模様)

この数年、何度か入れ歯を作り直していたが、
面倒くさがってほとんどはめていなかったので、
普段見る顔は、やせ細った上に口元がしわくちゃの、
私が幼い頃によく描かれていた「お爺さん」のようだったが、
目の前に眠っている父は、少しふっくらしていて
大島紬がよく似合っていた。

顔を見た瞬間はこみあげてくるものがあり、
何度も心の中で「ごめんね」とつぶやいていたが、
時間が経ってくると、その姿が
なんだかマダム・タッソーの蝋人形にも思えてきた。

いったん帰宅して着替えて荷物をまとめて再び斎場へ。

着くと、みんなが山のような弔電を仕分けしていた。

今回葬儀を会社との合同葬とするにあたって、
香典を辞退することにした。
そのため、刺しゅう電報やうるし電報はもちろんのこと、
線香セットやプリザーブドフラワーのついた電報まで大量に届いて、
五十音順に仕分けするだけでも大仕事。
大変ありがたいものの、どうやって保管する?などと、
先のことを想像してしまった。

供花の数も斎場の方が驚かれるほど多くて、
にぎやかに送り出すことができることに感謝した。

通夜式が始まると、会社関連の参列者の方々の中に、
懐かしい顔をたくさん見かけた。
当たり前だが、みんな年をとっていた。

遠くからかけつけてくださった方も少なくなく、
会場は人であふれていた。

式を終えて食事の時間になり、ようやく電話に目をやると、
ナイアガラさんとちよちよが乗るはずの飛行機が、
まだ浦東機場に到着しておらず、
出発時間のメドが立たないと連絡がきた。

食事の後も、遅くに弔問に来てくださる方をお迎えするために
何人かで斎場に残り、弔電の整理や告別式の準備などしていた。

日付が変わってから家の鍵をあけなくてはならないので帰宅するも、
結局ナイアガラさんたちが家に着いたのは1時をまわってからだった。

斎場は24時間開いているので、父に会いに行ってもらってもよかったが、
とにかく休んでもらうことにする。
行動自由な父親と二人きりで長時間過ごしたムスメは
ゴキゲンナナメもナナメ、ぷんすか噴火モードで愚痴る愚痴る。
二人一緒の便で無くてもよかったやんと叱られる始末。
おかーさん、チケット手配の時、そこまで頭まわってませんでしてん。
ごめんよー。

もう久しく家族4人揃って大阪に滞在するということをしていなかった。
いつもけびちよと私、もしくはナイアガラさんと私という組み合わせだった。
それがこんなカタチで全員揃うとは。
ちょっとフクザツな気分だったが、揃うことができて良かったとも思った。
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