上海燕樂堂

イツモココロニタイヨウヲ

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シュタイナー素数糸かけ曼荼羅への道[3]

夜、静かになったところで作業再開。

素数糸かけ曼荼羅8

6本目は黄色。
黄色とオレンジは途中で何度かちらちらっと気になった色。
ここで手に取ったのは黄色。

素数糸かけ曼荼羅9

7本目は緑色。
ここが普段の私が「色を選ぶ」作業とは異なるところ。
緑色そのものは好きなのだが、
この糸の緑色は正直あまり好きではない。
私はどちらかといえば黄色みがかった緑より
青みがかった緑の方が好きだ。
それでもこの色が気になった。
かといって、イヤイヤ選んだわけでもない。

素数糸かけ曼荼羅10

8本目はオリーブグリーン。
このチョイスも珍しい。

素数糸かけ曼荼羅11

そしてラスト9本目。
ここでまたオレンジが一度気になったが、
糸を見ているうちに白色の糸が浮かんできたので白色に。

こうして私の曼荼羅が出来上がった。

素数糸かけ曼荼羅12

あらためて使用した糸を順番に並べてみると、
自身の普段の色の選び方からは想像しなかった展開が。
それぞれの色を選んだのはなぜだったのかな。

13でかけた糸はすごくかけやすかったのに、
11はやや苦戦した。
そういうことにも私が気づいていない意味があるのだろう。

今回メアリーさんにお会いできなかったのは残念だったけれど、
みやびさんにワークショップを開いていただけたこと、
ご一緒できたことは大変嬉しくありがたいことだ。
今日のご縁がどのような織物になっていくのかが楽しみ。

みやびさん、ありがとうございました。

問題は、どうやって無事に上海まで運ぶか、だな。
- : - : Edit

シュタイナー素数糸かけ曼荼羅への道[2]

高木屋さんの2階にてスタートした素数糸かけ曼荼羅WS。

まずはなぜ素数を使って糸かけをしていくのか、
その成り立ちについてお話をうかがい、
作業の流れの説明を受けた。

最初に登場するのは、木の板と釘。

素数糸かけ曼荼羅1

前もってみやびさんが釘を打つ位置を示してくださっていたので、
私はただただそこにあわせて釘を打つだけなのだが、
人生を表す64の穴、それを見るだけで何やら奥深いものが感じられる。
(何かに感化されすぎ??)

釘は木目によってすんなり真っすぐ入ってくれるものあり、
そうでないものあり。
この穴が人生だと思うと、釘を打つ作業だけでも
いろんなことが思い起こされる。

なぜか25番目の穴の釘がグスグスで、抜けないか心配。
糸をかける時に気をつけるように言われる。

糸は22色用意されていて、
その中から自分が「感じる」色を選んで
素数に従って1本ずつかけていく。

とにかく私は配色のことを考えないで、
その瞬間の感覚だけで色を選び「出来上がり」を意識しないように
作業できれば、それだけで今日はオッケー、としよう。

素数糸かけ曼荼羅2

1本目の糸は、濃いピンク。
どうしてもピンクからは目が離せない。
これはオーラソーマの時も同じ。
違う色は気にならないかい?と、己に問うてみたが、
「やっぱりこの色気になるねん」と言うので、
それじゃあこの色を手にしよう。

25番目の釘は、引っこ抜けることなく、
何事もなかったかのようにそこにあった。ヨカッタ。

素数糸かけ曼荼羅3

2本目は、濃い水色。
この色も好きな色の一つ。
「好きな色」に引っ張られている? そうでもない??

素数糸かけ曼荼羅4

3本目は、黄緑色。
この3本目までの色は、パステルでも選びがちかも。
やっぱり「気になる」というより「好きな」で選んでいる?
自分にもよくわからない。

素数糸かけ曼荼羅5

4本目は、アプリコットネクター、かな。
ベージュよりはずっと甘い色。

素数糸かけ曼荼羅6

5本目は淡いラベンダー。

集中しすぎないように、のめりこみすぎると、
自分が見えなくなる、と最初にアドバイスをいただいていたが、
見えているのかいないのか、最初っからわからない状態。
でも、とにかく楽しい。

途中休憩も入って、
高木屋さん特製の酵素サイダーと、
みやびさん特製の美味しいおやつもいただいた上に、
気の流れも良くしていただいたが、
WSの時間内にはここまでしかできなかった。

会場はまだ使えるとのことだったが、
母たちと尼崎で待ち合わせしていたので、
残りは家で仕上げることにした。

素数糸かけ曼荼羅7

角度を変えて見るのも楽しい。
- : - : Edit

シュタイナー素数糸かけ曼荼羅への道[1]

2014年、今年のはじめは毎年恒例の春節のバタバタに加え、
けびの長い夏休み(南半球は夏休み)などあり、
楽しいが忙しくしていた。
2月中旬にちよちよが新学期を迎え、
下旬にけびがメルボルンへ戻ったことで
やっと通常通りの生活にというところで
3月はじめに大阪の父が急逝した。

仕事や人との連絡のためにネットにはあがるものの、
人様のブログをゆっくり読ませていただくところまでは
気持ちに余裕がなく、あっという間に6月を迎えようとしていた。

そんなある日、ヤマキタセンセイのブログの古いエントリに
ウツクシキモノを見つけた。

うひゃー!なんやコレ!!!
めっちゃドキドキする〜!!!

気になって気になって仕方ないが、
なぜか直接ヤマキタセンセイに詳細を確認しようという気になれない。

そもそも人にたずねる、お願いするという行為が
とっても苦手な私ではあるが、
「ショートカットはあかん」
そんな言葉が浮かんだ。

はい、いけるところまでやってみよ。

そのドキドキするウツクシキモノは、
「素数糸かけ曼荼羅」というらしい。

調べていくとすぐにMary Akasha(以降メアリーさん)さん
たどりついた。

ところが、彼女のサイトのセッションメニューには、
この素数糸かけ曼荼羅のことはまったく触れられていない。

ネットで検索すると、メアリーさんは各地に飛ばれていて、
たくさんの人々が自らのこのウツクシキモノを
造り出しているというのに、
ほとんどワークショップの案内が出回っていないらしく、
その大半がそのワークショップそのものの体験談。

今年はほぼ2か月も大阪に滞在するので、
何とかここでメアリーさんにお会いしてみたい、
このウツクシキモノに触れてみたい。

そこでメアリーさんにメールを送り、
夏の開催日程をうかがった。
ちょうど8月9日に神戸で開催される(実際には尼崎になった)と知り、
何とかここで、とそこに照準をあわせることにした。

ところが、日にちが迫ってもその詳細がわからぬままで、
多忙な彼女に督促メールを送るのも何だかなと思いつつ、
7月の終わりに再度問い合わせをしてみた。

ツアーから戻られたばかりのメアリーさんからお返事をいただき、
連絡先となっていたみやびさんに電話をかけてみた。

が、もう定員に達していて締め切られたという。

がーん……。

たぶん電話では相当がっついた口調で
私は話していたのではないかと思う(ごめんなさい)。
みやびさんが気を遣ってくださって、
何とか調整できないかみてくださるとのこと。

そしてめでたく9日に尼崎でのワークショップに
参加できることとなった。

はずだった。

結局は、メアリーさんにお会いする時機がまだ来ていなかったらしく、
台風からその通知をもらうこととなった。

結果的には、ワークショップが開催される予定の時刻には、
雨風共にさほど影響されるような状態では無くなっていたが、
メアリーさんの中でもGOが出なかったというから、
この日は何かを生み出す日ではなかったのかもしれない。

その代わりというのは失礼な言い方だが、
メアリーさんからみやびさんにバトンが渡され、
みやびさんによるワークショップを開催していただけることとなった。

当初は今日、ひろみーたの唯一の休日で、
デートをする予定だったがキャンセルさせてもらい
尼崎の崇徳院へ向かった。

町名標識

JRの立花駅には初めて降り立った。
崇徳院へ向かうまでの道中、気になる建物があったりして、
いつかゆっくり歩いてみたいと思ったりするも、
夏じゃなくて春とか秋がいいな。

今回の会場は高木屋さん。

なんと、今日の参加者は私一人。

軽くご挨拶をしてワークショップスタート。
どうぞよろしくお願いします。
- : - : Edit

8月18日のワタクシ

ちよちよと市バスで梅田まで出て、
そこから茶屋町まで歩いた。
彼女とはNU茶屋町で別れ、私は一人でまた歩く。

と、建物の出口近くに気になるお店を発見。

ちょうど前髪が伸びて鬱陶しくなっていて、
でもまだ他の部分は切りたくない。
さらには実家のマンションにある美容院は月曜でお休みだから、
このモヤモヤどないしたらええのん!
と思っていたところに見かけた美容院。

予約無しの飛びこみでもいけるかな〜、
出直さないとダメかな。

入口にあるボードを見ると、
前髪だけのカットができるとある。
ちょっと入ってみよう。

入ってみると可愛いお嬢さんが声をかけてくれた。
話をしてみると、1階は予約無しでできる前髪だけカットや、
眉カット、メイクにパウダールームの利用ができるという
ちっちゃなフロア。2階はいわゆる美容院。

早速前髪のカットをお願いしてみる。

すぐさま2階から前川サンという優しそうなお兄さんが登場。
(後でサイトチェックしたらけびと1歳しか違わへんかった……)

とにかく前髪が無いとイヤなんだけど、
でも前髪が長いのもイヤなのよ、
まだ他のところは切りたくないし、でももう鬱陶しいねん!
というおばちゃんの愚痴愚痴を聞いてくれた上で、
今のパーマのかかり具合(抜け具合)を褒めてくれた。
おばちゃんは「褒められる」に弱いんよ、うふふ。

その上で前髪の長さを提案してくれて、カットに突入。
そこで、斜めに切ってみるのはどうかと話が進み、
前川サンの話にのっかってみることにする。

うわー、ええやん。

これはちよちよにもオススメしちゃおう。
ありがとう前川サン。

*Atoro
 大阪市北区茶屋町10−12 NU茶屋町1階、2階

さて、気持ち良くなったところで、用事をどんどん片付けよう。
片付けていったら小腹が空いた。
三番街お蕎麦を食べる。
(米子で食べて来たところやん。好きやなあ、キミも)

注文したのは「三品そば」
山いも、かつおぶし、海苔の三種類の蕎麦を
甘い蕎麦つゆをかけていただくというもの。

割子そばやん!

三品そば

麺は出雲蕎麦とは違う麺だが、
甘いつゆをかけて食べる食べ方は嬉しい。
(ざるそばのつゆとは違うんだなー、これが)

さあ、また歩きますぞ。

手に袋をたくさんぶらさげながら、
予定していた買い物をどんどん済ませ、
バスの時間を確認して、いったん十三まで。

普段ならここで降りてしまうと、次のバスまで30分、
時間帯によっては1時間も待たねばならないが、
今の時間は15分ほどで次のバスが来る。

その15分で買い物をしようというわけ。

バス停のすぐそばにあるモスバーガー、
日本にお住まいの皆さんには「今さら」ながら、
機会がなくてずーっと食べてみたかったものを購入。

バンズの代わりにレタスのアレ

バンズの代わりにレタスを使ったアレ。

今回は、ロースカツで作ってもらった。

夕飯として食べるので、母の分も買って店を出る。
時間どうかな。

2分ほどでバス到着。
接続成功、やったね。

それにしても、想像はしていたケレド、
やっぱりレタスではさむのは食べにくいよね。
- : - : Edit

初盆[7]

松江大橋

喫茶室ツバメを出て、南へ南へ歩く。
松江大橋を渡る。

源助柱記念碑

橋の南詰のところに
「小泉八雲ゆかりの地ー10 源助柱・大庭の音のする石」とある。

堀尾吉晴公が初めて橋を架けようとした時、余りにも難工事だったため
一人の男を人身御供にした。その源助の名をとって大橋の中央の柱を
源助柱と呼んだ。小泉八雲は「神国の首都」に興味深く記している。
なんと!
この源助柱の話については、『松江城と周辺観光地案内』というサイトに
紹介されていた。
*源助柱のお話

さらに川縁にある大きな石。注意深く見なければ、
特に気にもかけずに通りすぎてしまいそうだ。

また打てば鐘のようにひびく大庭の石は、一定の距離以上へ
運び去ることは出来ないという伝説の通り、松平公がその一個を
松江城へ運ばせようとした時、石が非常に重くなってきて千人
かかっても大橋から先へ動かすことが出来なかった。
           著書 知られぬ日本の面影・八重垣神社
小泉八雲は1890年8月30日に松江入りしたそうで、
その際、彼を乗せた汽船がこの付近に到着したと言われているそうだ。

深田技師殉難記念碑

さらに何やら記念碑があるので目をやると、
「深田技師殉難記念碑」と刻まれている。

第17代目となる現在の松江大橋の設計をし、工事中に殉職した
深田清土木技師の記念碑だそうだ。
*松江大橋建設中に殉職した技師「深田清」のこと江波文學塾

では、これは何なのだろう。

源助公園の灯台

よく見ると「しまね景観賞 奨励賞」と書かれてある。
それをキーワードにして検索してみると、
島根県のサイトに記事があった。

第6回しまね景観賞奨励賞のまち・みどり部門に
松江大橋南詰め(八軒屋)公園(通称:源助公園)」とある。
以前この場所は、もろもろ無秩序に配置されたままの
雑然とした公園だったそうだ。
それが後に整備され、この賞を受賞することとなった模様。
で、この灯台は以前西側にあったものを再現したものらしい。
橋を渡って来た者の目を惹く一角だ。

さらに南東へ向かって歩き進んで行くと、和多見町、寺町と
たくさんのお寺さんや稲荷神社などが見えてくる。
時間があればゆっくりまわってみたいところ。

松江のお寺いろいろ

あ、途中で気づく。

どうしてもお参りしたいと思っていた神社の場所より
かなり南を歩いている!!

時間を確認。まだいける。
暑いけど戻るじょ。

向かった先は出雲國神仏霊場第六番「賣布神社

賣布神社

写真は燕大世界でどうぞ。
*上海燕大世界『賣布神社』

実は子どもの頃は、
毎年お盆とお正月に米子へ「連れて行かれる」のが嫌だった。
特に自然に興味を持っていたわけでもなく、
物質的に非常に恵まれた中で育っていたので、
テレビのチャンネルが少ないだとか、
子どもにとっての消費行動を駆り立てるものがほとんど無いだとか、
大阪から遠い(これは後に中国自動車道が開通することによって
飛躍的な変化をもたらした)だとか、
とにかく、大阪を離れたくなかった。

さらには、何で自分の親は大阪出身ではなく、
山陰の米子という(自分にとって)よくわからないところなんだろうだとか、
いろいろ不満を持っていた。
両親ともに若い時に米子を離れている上に、
母にいたっては結婚前は名古屋で働いていたので、
家の中で米子の言葉が聞かれることはなく、
それが余計に遠い感じを私に与えていたのかもしれない。

しかし、年を重ねるごとに自然の美しさや、
空が青いこと、空気や水が美味しいことなどなど
そのありがたさがわかってくるというものだ。

そして、父が亡くなったことをきっかけに、
なぜ私の両親は伯耆の国の人だったのだろう、
私とどのような関わりがあるのだろう、
そんなことが気になるようになった。
もっと言えば、父方の系譜を見ていくと、
出雲の国も大きく関わってくる。
(伯耆の国はもともと出雲の国の一部だったとの話も)

私は感覚が鋭いということもなく、
上海で道観へお参りはしているが、
特定の宗教に対して信心深いというわけでもない。
ただただ「天の神様」の存在を信じているだけのことだが、
自分のルーツが伯耆の国にあるということが、
今の私にとって「大きな何か」なのではないか、
そんなふうに強く感じるようになった。

山あり谷ありの生活はしているが、
大きな障壁に悩まされることなく生活できるのも、
伯耆(或いは出雲)の神々の御加護のおかげなのか、
ふと思うことが増えた。

その感覚に応える何か、というわけではなかったのかもしれないが、
駆け足であっても神社の境内を歩くことができて良かったと思った。
ありがとうございます。

道を急いで、駅へ向かう。
やはりタクシーは見当たらない。
湿度が高くて辛いが、距離としては大したこともないので
引き続き歩いて行く。
バスと相性が悪く、バス停を過ぎるとバスと遭遇する。

ほどなくして松江駅に到着。
駅員さんに確認すると、大雨で乱れたダイヤは
まだ多少影響が残っているが、さほどのものではないという。
時間に余裕があるので、あと3分ほどで発車する普通電車に乗るべく
大急ぎで切符を買い、ホームへ。

同じ普通電車でも車両の種類が異なるのか、
座席の造りが行きとは違っていた。
帰りもまた乗客が多いので写真は控える。

米子駅に着くと、空が明るくなっていた。

まーだ時間残ってるよ。さあどうする?
でもだんだんバスにのるほどの時間は無いなあ。

あ、そうだ!
縁結びバーガー!!!

松江で美味しいランチを食べた後なのに、
まだ食べようとするか私。
だ、か、らー、痩せる要素ナッシングなんだってば。

本当はいくつか買って大阪まで持って帰り、
みんなで味見するということをしたいわけだが、
夏場はやっぱりコワイ。
とにかく記念に1つ注文してみよう。

当たり前田カレー3

お店に入って、幸せを呼ぶ縁結びバーガーを1つ注文。

当たり前田カレー5

これは米子がいな祭りの「GAINA BATTLE 米子がいなバーガー、
第一回米子がいなバーガー称号決定戦」で
見事がいなバーガーの王者に輝いたバーガー。

当たり前田カレー4

うはは、ほんまにピンクやわー。

大山どりと海老を鳥取砂丘生まれの新種の長芋「ねばりっこ」でつないで
縁結びをイメージしたパティ。
さらには弓ケ浜半島の白ネギと砂丘ながいもを混ぜ込んで、
シャキシャキとした食感が楽しめるようになっている。
それを、当たり前田カレーの「インディアンカレー」にくぐらせ、
砂丘らっきょうとビーツで作ったピンクのタルタルソースで
愛らしく飾りつけてある。
日南町産のトマト、サンプル写真では、はっきり存在を見せているも、
現物はピンクのソースの中に埋もれてしまっていた、ひひひ。
このピンクがまた縁結びのイメージで、幸せを呼んでくれるらしい。

美味しいけれど、やっぱりこれは大阪までは持って帰られないなー。
たぶんバンズがべちょべちょになってしまう。残念。
来年、みんなで食べよう。

8月30日に伯耆町植田正治写真美術館前で開催される、
とっとりバーガーフェスタ2014 全国ご当地バーガーグランプリ
鳥取県予選」に出場するそう。ガンバレ〜。
(後日メモ:残念ながら本戦出場は叶わなかった模様。予選結果

おなかがふくれすぎてとんでもないことになっているけれど、
これで大渋滞に巻き込まれても、おなかはグーグー言わないぞ。
さあ、大阪へ帰ろう。

当初、梅田でこの時間は6台バスが出ると聞いていたが、
米子駅前に来たのは5台。
それも1台は女性専用車両、ええなー。
ネットで予約かける時は知らなかったんだよね、
お盆の女性専用車両のこと。

バスに乗る。隣は米子の人にも思えるし、そうでもないように見える
中年の男性。腕が当たらないように気をつけながら、音楽を聴く。

車窓からの日野川2

車窓からの日野川1

車窓からの日野川3

車窓から日野川を眺めた。
さようなら、米子。
また来年。

渋滞は思うほど大変ではなかったが、
普段停車しない赤松PAで停車したりなんかしてちょっと嬉しい。
母の好きな赤松コロッケをお土産に購入。
赤松コロッケ

冷めても美味しいといいな。

さあ、大阪に帰ったらまた忙しくなるぞ。
- : - : Edit

初盆[6]

開店までにはまだ10分ぐらいあっただろうか、
ちょっと早いが喫茶室ツバメに到着。

journey

1階は「journey」という雑貨屋さんで、
こちらはもう開いていたので、しばらく雑貨を見ていた。
気になるものもいろいろあったが、上海への戻りのことを考えて
ワレモノやかさばるものはみんな我慢。

喫茶室ツバメ・看板

ドラミちゃんも到着して時間になったので2階へあがる。

喫茶室ツバメ1

ほんとうにちっちゃなスペースだが、毎日通いたくなるような雰囲気。

喫茶室ツバメ2

こういうところで絵を描けるといいな、なんて思う。

喫茶室ツバメ3

ミョウガなんて普段食べる機会がないし、
じゃがいもと長いもでサラダという発想も持ったことがなかった。
ワクワク度MAX!!!

喫茶室ツバメ4

おひるごはんで選べる豆乳プリンが気になったので、
追加で紅茶をお願いする。

喫茶室ツバメ5

いずれも我が家の男性陣とは一緒に楽しめないものばかり。
やっぱり来てヨカッタ〜。

ドラミちゃんも元気で何より。
教育に関する話を聞いていると、子どもたちが気負うことなく
自然に参加できて社会奉仕に繋がる活動がこちらでは豊富にある模様。
上海にいると、とってつけたようなものばかりなので羨ましいかぎり。

ゆっくりしたいところだけれどお互い時間に限りがあるので、
ここでお別れして私は松江駅へ向かうことに。

タクシーに乗って戻ろうかと思っていたが車の姿がない。
バス停を見つけるが、方向が違う模様。
まあ、歩いてもまだ間に合うだろうから、
食後の散歩がてら歩いて行こう。

ロンドンに似し霧深き松江かな

ロンドンに似し 霧深き松江かな  貞子

この貞子さんという方はどなたなのでしょう。
さりげなく飾られているのがおしゃれ。
- : - : Edit

初盆[5]

いい加減晴れて欲しいと思うものの、朝から結構な雨。

今回の米子での最後の朝食。

朝食140817

ミニオムレツをとったくせに、奥出雲の生卵もとってしまった。
キノコのパスタは滞在中2回目の登場。コレめちゃうま。
他に生野菜も。

美味しく朝食をいただいて、ホテルをチェックアウト。
荷物を預けるか考えたが、駅のコインロッカーに入れることにして
雨の中、米子駅へ。

これから私は松江へ出かける。

目的は2つ。

1つはブログを見て以来、ずっと行ってみたいと思っていた
喫茶室ツバメ」でランチを食べること。
そしてもう1つは現地校母の会で一緒に事務局をやっていた
ドラミちゃんに会うこと。

前回、納骨式で米子へ出て来た際に、
米子で会う約束をしていたが、互いの予定があわなくなり、
残念ながら会えずじまいだったので、今回会うことに。
それもちょうど今日松江で子どもさんたちが参加するイベントが
開催される(台風で延期になっていた)ということで、
喫茶室ツバメで一緒にランチを食べることにした。

大阪への戻りを米子からではなく松江から高速バスに乗ることに
変更しようかと調べてみたが、
松江からだと梅田までかなり時間を要するため、
予定通り15時米子駅前発のバスに乗りたい。

喫茶室ツバメの開店時間と、食事にかかる時間などをあわせて
時間を計算し、ちょっとフンパツして特急券を買って
朝は9時16分発の特急やくも1号に乗ろうと決めていた。

特急と普通電車では所要時間は10分程度しか変わらないものの、
なんせ山陰本線、電車の本数が少なくて、
時間をみていくと、コレがいいなあと思ったのだ。

駅のコインロッカーに荷物を入れるのに、両替機を使おうと思ったら、
お詫びの貼り紙。仕方ないのでハート・インでお茶を買ってお金をくずし、
やれやれと思いながらコインロッカーに荷物を入れて、
駅の自動券売機へ行くと、事前に調べていた料金と
機械で表示される料金が違う。
券売機で表示される方が安いが、不安。
それでみどりの窓口へ行って切符を購入。
(ここもJR西日本の管轄だが、自動改札が無いためICOCAは使用できない)

そこで、ロッカーに入れたかばんの中にドラミちゃんに渡すお土産を
入れたままにしていたことを思い出し、慌ててロッカーへ行き、
いったん開けてお土産を出してまたロッカーに荷物を預け直す。
何やってんだか私。

そして駅の改札へ行ってみると……。

山陰線 大雨による列車の遅れ

山陰線 大雨による列車の遅れ」と書かれてある。

岡山から倉敷、新見を経て北上して米子へ入る前、
武庫と伯耆溝口間が徐行運転になっており、
点検終了が10時頃と書かれてある。

私が乗る予定にしていた特急やくも1号は
9時45分頃米子駅到着予定だという。

ええー、どうしようかな。

よく見ると、出雲市まで行くならこの特急やくも1号が
早く到着するが、松江までなら9時36分発の普通西出雲行きの方が
早く到着するという。

それなら特急に乗る意味が無いので、
特急券だけキャンセルして、普通西出雲行きに乗ることに。

ところが、これも36分になっても列車が来なくて、
駅員さんに何かを訴えている乗客の姿がちらほら。

山陰本線米子駅車窓から

なんやかんやで出発が遅れたが、無事に電車は出発。
思いの外乗客が多かったので写真は撮らなかったが、
初めて乗った「ワンマン」列車。

私が乗った車両は一番後ろの、と言っても2両目。
大きな駅では下車できるが、小さな駅では下車したい時は
1両目に移動しなければ、ホームが存在しない。
また、下車する際には、電車がホームに着いてから、
ボタンを押してドアを自ら開く必要がある。
整理券発行の箱もあるし、小さな駅では改札が無人なのか、
運転席後ろにある料金箱に切符と整理券を入れるようになっていた。

外は強い雨が降っていて、全く景色が見えない。
帰りのことが心配になる。

松江の駅は大きいのでそのまま下車して、
切符も改札で出せばオッケー。

初めて降り立つ松江駅。明るく、広い印象。
なんだか米子駅がかわいそうに思えて来た。

そしてかつて『月曜から夜ふかし』でさんざんネタにされていた、
鳥取には無い、スターバックスコーヒーの島根第一号店も見物。
島根限定の何かが売られていたら話のネタに買おうかとのぞくも、
それらしいものが無かったので、そのまま通過。

ゆうべ買った靴下が、靴の中で脱げてしまうので、
急遽五本指の靴下を購入。バス停のベンチで履き替える。
ちょっとハズカシイ。

当初は徒歩で途中神社やお寺さんを巡って喫茶室ツバメまで行く予定にしていた。
しかし、天気がよろしくない。
松江には市営の「ぐるっと松江レイクライン」というバスが
走っているそうで、これに乗ると目的地の近くまで行ける模様。

松江レイクライン

どうしようかな……。
時間と相談して、行きはタクシーに乗ることにする。

お店が開くまでまだ時間があるので、
ごうぎんカラコロ美術館」まで行ってもらう。

運転手さんに「珍しいところを指定されますね」と不思議がられた。
まず目的地に言われたことが無いという。
まあ、地元の人がわざわざ行くところではないのだろう。

ごうぎんカラコロ美術館1

「ごうぎん」とは山陰合同銀行のことで、
島根県松江市に本店を持つ、山陰地方最大規模の銀行。

ごうぎんカラコロ美術館2

この建物は1926年に建てられたもので、
2009年に新築移転のため閉鎖されるまで北支店として使用されていた。
警備のおじさんの話によれば、松江は運良く空襲を逃れ、
このような素晴らしい建築物がたくさん残っているのだという。
それを保存するために、耐震工事とエレベーター設置などを経て、
無料開放の美術館にすることにしたのだそう。

中のまつぼっくりのようなデザインの照明がとても美しい。
それは銀行時代のものではなく、
この美術館のために用意されたものだそうで、
どこから見ても中の電球が見えないように作られているのだそう。
画像でご紹介できないのが残念。

美術館を出ると、道をはさんでお隣さんに
カラコロ工房」という建物が。

カラコロ工房

こちらは昭和初期に建てられた旧日本銀行松江支店の建物。
名前のごとく、中ではさまざまなものづくり体験ができるし、
飲食店や雑貨店なども入っている。

カラコロ工房遠景

残念ながら今回は時間が無かったので、
ここへは来年ちよちよと来ることにしよう!

松江末広町付近

この周辺にはいろんなお店があって、
時間があればゆっくりお店の人と話をしながらまわるのが楽しそう。
勾玉の手作り体験なんて看板も出ていたし、

堀川めぐり

松江堀川の「ぐるっと松江 堀川めぐり」という遊覧船の乗り場もあった。
これも来年ぜひ乗ってみたい。

松江のマンホールカバー、ステキ。

松江のマンホールカバー

なんだかいろいろ気になるね。
ゆっくり歩いてみたいな。
- : - : Edit

初盆[4]

今日は仏様を送る日、そしてみんなが大阪へ帰る日。

私は最終日まで必要な荷物を残して、
他の荷物をすべてちよちよのかばんに移し、
一足先に大阪へ運んでもらうことにする。

ゆうべ送りだんごを見つけられなかったので、
朝、弟に車で迎えに来てもらって、
その足でお店屋さんめぐりをすることに。

まず、米子駅前のイオンに寄って、
その次に泊まっているホテルの先に和菓子屋さんがあったような気がして
そちらへまわってもらうも両方空振り。
おまけに店員さん(かなり年配の女性)にたずねても、
送りだんごのことは知らないと言われ、ビックリ。
え、そうなの???

次は、お餅屋さんの直営店、
だんごや萌音』へ行くべく角盤町の米子高島屋へ。
ここになかったら、他の和菓子屋さんをあたっても
何軒目でだんごを手に入れられるか自信無いよ……。

地下の食料品売り場へ向かう。

あ、あった!!!!!

容器に入れられただんごが、たくさん積まれていた。

ヨカッタ〜。

このまま見つけられなかったら、来年からは家で作るように
段取りして来なければと思っていた。

送りだんご

上新粉と砂糖、塩だけのシンプルなだんご。
「来年また買いに来ます」と言って店をあとにした。

乗用車の定員の関係で何をするにも一人あぶれることになっているし、
もう誰もみえないとは思うケレド、
万一線香をあげに来てくださった時のために私が留守番をして、
皆は昼食と、親戚まわりへ。

特に作業をするための物を持って来ていなかったので、
ボーッとテレビを観たりするも、チャンネルが少ないので
なかなか観たいものもなく。
時々うつらうつらしながらみんなの帰りを待つ。

そのうちみんなが帰って来たので、片付け開始。
お位牌はまた大阪の家へ。
お供物は、この後行く湊山公園での精霊送りの際に持って行く。
母が荷造りしてくれた。

仏壇のお飾りや、走馬灯などもろもろは、
13日の日に母と弟で準備してくれた。
それをどう片付けるかは二人しかわからないので、
邪魔にならぬよう気をつけながら手伝いをする。

大阪へ帰る準備も整い、みんなで西町にある湊山公園へ向かう。

湊山公園精霊送り1

今でこそ「湊山公園(みなとやまこうえん)」と呼んでいるが、
その昔、中海が「錦海」と呼ばれていたことから、
この公園を「錦公園(きんこうえん)」と呼んでいたらしく、
子どもの頃、この公園の話をする時にいつも父は
「昔は錦公園言うとったやけどな」と言っていた。

湊山公園精霊送り2

まだ陽が高いが、すでに人は集まり始めている。

湊山公園精霊送り3

そう多くはないものの出店もある。

しばらく歩いて行くと、「灯ろう受付」の看板や、

湊山公園精霊送り4

紙塔婆、読経の受付なども見えて来た。

湊山公園精霊送り5

こちらはお供物の受付。

湊山公園精霊送り6

こちらは休むことなくお経をあげてくださっている。
私は少し離れたところにいて気がつかなかったが、
父の葬儀の際に来てくださった和尚さまもいらっしゃった。
(大阪で通夜、葬儀を行ったため、通夜は菩提寺の和尚さまが、
葬儀は京都まで会議のために来られていた別のお寺の和尚さまが
それぞれお経をあげてくださった)


湊山公園精霊送り7

灯ろう流しは時間が遅いので、私たちはここまでで公園をあとにすることに。

はしまき1

帰りにちょいとお買い物。
薄いお好み焼き様のものを箸を軸にくるくる巻いた「はしまき」。

はしまき2

その場ですぐに食べられそうに見えるも、
容器で受けながら食べないとオソロシイことになりそう。
素直に家まで持ち帰ることにしよう。

クロワッサンたいやき

人だかりが絶えない「クロワッサンたい焼」の店。

クロワッサンたいやき本体

弟に一口味見させてもらったが、サクサクの食感がいい感じ。

公園の出入口のところにはこんな看板も。

Save The 潮止め松プロジェクト1

「SAVE THE “潮止め松”プロジェクト」

Save The 潮止め松プロジェクト2

中海からの強い潮風から米子城の城下を守るため
植えられたと言われている、推定樹齢400年の松の木が、
2011年正月の豪雪被害が原因で枯れてしまった。
しかし、その松が枯れてしまうまでに遺した苗木があり、
それを育てていくことで、豪雪の災害の記憶とともに
かつてこの地にあった大木の歴史を次世代へと
引き継ごうというプロジェクト。

SAVE THE “潮止め松”プロジェクトについてと
                   コースター基金協力のお願い

                  一般社団法人鳥取県造園建設業協会
潮止め松の枯損、撤去から2世松の植樹まで
              鳥取県西部総合事務所米子県土整備局)
遺されている部分を見るだけでも
相当大きな木だったということがよくわかる。
2世松が大きくすくすく育ちますように。

家へ帰ってから母としんちゃんは留守番をして、
弟とたまちゃん、ちよちよと私の4人で夕食に。

行き先は明治町の「当たり前田カレー

私はココナッツカレーに野菜をトッピング。

当たり前田カレー1

スパイス爽やか、野菜も美味しくて、他のものも試してみたい!

テーブルをふと見ると、「幸せを呼ぶ 縁結びカレー」の広告。
ココナッツ風味の白カレーにビーツで色をつけたピンクのカレー。
そこにお野菜や金箔が。
いいお値段するので、手を出せなかったが、
来年もまだこのメニューがあったなら、食べてみるみる??

さらにこんなものも。

当たり前田カレー2

ううっ、気になるけれど、
さすがにカレーとバーガー両方は食べられない。
これも来年あったなら食べよう、そうしよう。

お店からホテルは徒歩圏内だが、
イオンまで乗せてもらってみんなとお別れ。
休憩をマメにはさんで安全運転でね。
じゃあ、また大阪で。
- : - : Edit

初盆[3]

今日は午前中にお経をあげていただくことになっているので、
昨日よりはやめにホテルを出ることにする。

そして例のだんだんバスは、降りる場所を変えて
灘町橋まで乗ることに。

湊山公園で降りて、後藤家の前、旧加茂川を渡ればすぐに着くが、
どうも灘町橋まで出た方が近そうな気もする。
結果、どちらが近かったのかはよくわからないままだが、
まあ、いいんじゃないの。散歩、散歩。

ところで後藤家といえば、
ここで言う後藤家は内町後藤家。国指定重要文化財である。
何やら母屋に足場が組まれて工事中のよう。
内町後藤家

単純にメンテナンスをしているのかな程度に思っていたが、
昨年の12月に乗用車がつっこんで、庇を支える角柱が折れて
庇の一部が壊れたのだそう。

さらに後藤家といえば、
忘れてはならないのが灘町後藤家。
水木しげる夫妻が結婚式を挙げたのが、この灘町後藤家。

2010年の夏に米子へ来た際には、どこにあるのかがよくわからず、
探しもしなかったが、最近ネットで調べていて、
そういえば昔、家の前を通ったことがあったかもと思い返す。
(とってもご近所さんだったから)

この2010年という年、荒廃しきってしまったこの家の管理を巡って、
所有者と相澤英之元衆院議員の間で裁判沙汰になった。

この裁判、判決が出たのかどうかも私は知らないが、
保存活動をしていた人たちの力も及ばず、
残念ながら家は解体されてしまった。

そして私は今年、解体が終わって更地と化した土地を見た。
時は流れて行くのだから、
何でもかんでも保存すればいいってものではないとわかってはいるが、
上海でも同じような姿を幾度となく目にしているので、
何かしらやりきれない思いを感じた。

解体の様子がこちらのブログに掲載されていた。
「灘町 後藤(なだまちごとう)」解体!【米子市灘町】
よなご まちなかなぅ―解体がすすむ灘町後藤―
 (以上、『山陰百貨店―日常を観光する―』より)

話を戻して、家に着いてみると、
いっけぴょんたちが到着していた。
聞けば、ずいぶん早い時間に米子に着いてしまい、
みんなを起こすわけにもいかないから、
大学病院の近くのパーキングでいったん仮眠をとってから来たのだそう。
昨日は天王寺の伯母のところへ家族を代表して行って来てくれたし、
みんなおつかれさま。

雨は降ったりやんだりを繰り返し、降っている時の雨足はなかなか強い。
湿度が高くてどうにもこうにもスッキリしない。

お寺さんがお経をあげに来てくださったので、
みんなで食事に出ることにする。

私は初めてだが、みんなは米子の伯母に出前をとってもらって
食べたことがあるという弓ケ浜の昌庵(しょうあん)。

かなり激しい雨が降り続けているのに、
外まで順番待ちのお客さんがあふれている。
みんなお蕎麦好きやね(私たちもだけど)。

私は三色わりごを注文。
母は、以前私が話した「いただき」がメニューにあることに気がつき、
持ち帰り用に注文していた。

昌庵の三色わりご

ここの三色わりごの卵はうずらではなくにわとり。
白いかの天ぷら用に用意されていた天つゆは、
金属の容器に入っていてアツアツ。

残念ながら麺も天ぷらも私の好みからはちょーっと外れていて、
美味しいんだけど、何かが物足りない。
来年また別のお店で食べてみたいな。
(というよりも、出雲蕎麦は出雲で食べろって?)

食事を終えて灘町へ戻る。
たまちゃんが昨日買いたがっていたどらやきを買うべく
丸京庵米子本店へ。

米子のどらやきは生産量世界一、
この丸京庵丸京製菓は、米子市営運動公園の
ネーミングライツを取得して、名前を
「どらドラパーク米子(どらやきドラマチックパーク米子)」と
命名している。
大阪人もビックリなネーミング「どらやきドラマチックパーク」。
たぶん、母には「東山公園」と言わないとわからないと思う……。

さて、その丸京庵米子本店には、こーんなものが。

どらやき神社

どらやき神社〜(ドラえもん風で読んでください)

どらやき神社

ちびっこたちはお参りして、おみくじもひいてゴキゲン。
何やらどらやきが当たった人も。

買い物が済んだら家でひと休み。
いっけぴょんたちはこのまま日帰りということで、
妹夫婦はどこに立ち寄るか相談中。
お墓参りを済ませてからどこか寄り道して大阪へ戻るらしい。
私たちは、たまちゃんとしんちゃんが
るろうに剣心』を観るということで、
まず位牌堂とお墓へ参って、塔婆立をたててから
イオンモール日吉津へ向かうことに。
母はお昼に買った「いただき」を夜食べるということで、お留守番。

ちよちよに、大阪野田阪神にあるイオンに連れて行ってくれと
以前から言われていたが、ここのイオンで用が足りそう。
とにかく大きい。

ここでは、集合時間だけを決めて別行動に。

ちよちよと私はチチカカ(大阪でも尼崎でもそして米子でも、
ほんとよく行くよね〜)や、ANAHITA STONESなどまわる。
ミネラルショーをやっていて、可愛い石をもらった。

そろそろ食事でもしようかとお店を見て回るも、
二人の意見が一致しない(のは日常茶飯事)。
ちよちよはまださほどおなかがすいていないというので、
先に私が行きたい店へ一緒に行って私が一人で食べて、
その後、彼女が行きたい店に私がつきあうということで合意。

まずは廻るお寿司屋さん大漁丸へ。
お天気がよく無かったからか、一部食べてみたかったネタが
入荷していなかったが、美味しくいただく。
最初は乗り気ではなかったちよちよも、
ちょっとつまんじゃおうかなと一緒に食べ始める。
海老好きの彼女が大喜びするほど海老が美味しかったようで、
結局はこの店だけで食事を終えることとなった。
ヨカッタヨカッタ。

デザートまで食べるおなかの余裕はないので、
再び歩き始めるも、そんなにそんなに買い物できるわけでもなし、
普段は入らないのだが、ゲームコーナーにでも行ってみようかと、
AmiParaというお店に入ってみた。

あれ〜?おっちゃんが遊んでるやん。

たまちゃんとしんちゃんが映画を観ているので、
親父である弟は一人メダルゲームで遊んでいた。

「これなかなかおもしろいよ」

ということで、ちよちよも参戦。
二人で調子良く遊んでいるので、私は別行動でモール内を散歩。
new styleで洋服や雑貨を少し購入。
このモール内にはVILLAGE VANGUARDもあるのに、
new styleもあって、
モール内は若者率がとても高かった。

レジに銀聯カードのマークがついていたので、
試しに使ってみようとカードを出してみる。

うふふ、私が日吉津のnew styleで初めて銀聯カードを使った客だよん。

イケメンのお兄さん、やや緊張気味で操作。
中国人客が多いかどうかたずねてみると、
ここ1、2年でぐんと増えたという。
土地柄韓国人やロシア人は珍しくないが、米子にも人民さんが
訪れているのねん。たしかに、今宿泊しているホテルでも
銀聯カードが使えるのだから、日吉津まで来ていても不思議はないかもね。

映画が終わって、みんな集合。
イオンで明日仏様を送るための送りだんごを探すが無い。
マルイにも寄ってみるが、こちらも送りだんごは無い。

母は「無かったらいいよ」と電話で言ってくれたが、
こうなると意地でも見つけたい。

今晩ネットで調べて、明日の朝買いに行くべ。
- : - : Edit

初盆[2]

朝、雨でござる。まあしゃあないね。

今回宿泊は朝食アリ・ナシを選べた。
ホテル・アルファ-ワン米子の朝食は、
7月に入ったことのある山陰漁酒場 丸善水産 米子店だったことと、
最寄りのコンビニが米子駅にしかなかったため、
朝食もお願いしておいた。

お盆休みで宿泊客が多いため、時間帯によってはかなり混むと
フロントで聞いていたものの、どこに照準をあわせてよいかよくわからず、
とりあえずちよちよの準備ができるのを待って1階へ。

見覚えのある店内では、宿泊客が思い思いの場所で朝食タイム。
和洋メニューいろいろ取り揃えで全種類制覇は難しそう。
私は奥出雲のたまごでたまごかけごはんを。
(写真撮影したはずなのですが、上海で確認したらデータが無く……)
ごはんを美味しくいただいた後は、それぞれ部屋に戻って出かける準備。
だんだんバスの時刻表を確認して、フロントで待ち合わせ。

今回のお宿の最も嬉しいところは、
だんだんバスの明治町バス停が真ん前にあること。

私たちは天神橋まで乗って、そこから旧加茂川沿いを歩き始めた。

うーん、思ったより距離があったかな。
これはもしかするともっと先のバス停で降りた方が良かったかも。
雨模様で蒸し蒸しでなければ、朝の散歩に良いんだけどね。
明日は別のバス停で降りてみようか。

家に着いてみると、ちびっこはだらーんとへたばっている。
朝から退屈な様子で、ゲームで遊びたいものの制限がかけられているから、
時間を持て余しているようだ。
お線香をあげに来てくださる方々への挨拶などは
彼らには興味の無いことなので、退屈極まりない様子。
気持ちはわかるよ。

午後、位牌堂とお墓へ参ってから、
ホームセンターへ塔婆立を買いに行く。
塔婆を立てる塔婆立(名前そのまんまやね)は、
必ずしも石屋さんにお墓と一緒にたててもらうものではないのだと知った。
父が亡くなったことによって初めて知ることがたくさんある。
些細なことではあるが、これもまたその一つ。

ホームセンターの駐車場にたい焼き屋さんや唐揚げ屋さんがあったので、
夜みんなで食べようといろいろ購入。
マルイでも食料品を買い、しまむらへも行った。
(車尾のマルイは24時間営業!)

さらに、電子ゲームばかりして遊ぶ子どもたちを何とかしようと、
ナツカシノ『人生ゲーム』を探しに天満屋へ行く。

4階のLOFTにあるかなと探してみるも、
旅のお伴にするような携帯用の小さなタイプしかなかった。
これではちょーっと遊びづらいかな。
店員さんにたずねてみると、
天満屋のおもちゃ売り場を確認したか聞かれたので、
そっか、ここにはおもちゃ売り場があるんだ!と、移動。
私が子どもの頃のデパートのおもちゃ売り場というものは
とても売り場面積が広くて、きっと親は何とかして
避けて通りたい場所だったと思うのだが、
今はどこも縮小されてあまり商品が並んでいない。
一抹の不安を抱えながら売り場をのぞいてみると……。

人生ゲーム1

やったー!あったよー。

わーい、テンションあがってきたよ。
これで買い物終了、はやく家に帰ろう。

夕食後、弟、たまちゃん、しんちゃん、ちよちよ、そして私の4人で
人生ゲームスタート!

私が子どもの頃遊んでいたものと変わらぬものあり、
変わったところあり。

人生ゲーム2

私たちが購入したのは2008年に登場した6代目にあたるそう。
ボードに別のボードをかぶせることで
2つのステージが遊べるようになっていて、
2つのステージ(生まれてから職業に就くまでと、そこから億万長者になるまで)
続けて遊ぶもよし、いずれか1つのステージだけで遊ぶもよし、
遊びたい時間や気分にあわせて遊び方を選べるのはおもしろい。

今回は、職業に就くところから億万長者になるまでのステージで遊ぶ。
(写真完全に撮り忘れ)

弟に何度も驚かれるほど私のゲームは私のこれまでの人生と重なっていて、
私も笑うしかないぐらいだった。

職業は実際の私とは異なるが、もともと1985年に上海旅行をするまでは
教職に就くことを希望していた。ゲームでの私の仕事は教師。

結婚して子どもを産むが、第一子は男の子、第二子は女の子だった。
そう、けびとちよちよ。

そして途中までは何度か約束手形を手にすることもあったが、
後には夫婦で旅行に出かけたり、
何やらまったり暮らすことになったりと幸せモードでゴールした。
今年は銀婚式だし、この先の25年に期待を寄せておくことにしよう。

ゲームで遊び終えると私たちはホテルへ。
明日はいっけぴょんたちもやって来るから賑やかになるよ。
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